私は森に哲学を探しに来た。ヘンリー・デビット・ソローの「森の生活 -ウォールデン-」を読破し、森の中には哲学があると信じて、森を知るための仕事を探した。それが林業だっただけだ。林業を知りたいのではなく、森の哲学を知りたかった。もちろん林業の多くを知る事にもなったが。
最後は森林セラピーという森の最先端の活用にまで係る事になった。
15年間の森の生活の中で、森の哲学の多くを感じることができた。私の人生の全てを変える程の哲学だ。しかし、真新しいものではない。ソローにも通じるし、同じ事に気付いている人がいる事も確かだ。微妙な所での細部は新鮮かと思う。
私がこの世の中に一人しかいない以上、これからここに書かれる事と全く同じ事を書く人はひとりもいない。それが森の哲学だと思う。
発端
1992年、映像制作の仕事も6年となり慣れてくると人はいろいろと考え始める。自然の中での生活をしてみたいと思い、仲の良かったカメラマンに話をするとヘンリー・デビット・ソローの「森の生活-ウォールデン-」を紹介してもらった。ナチュラリストのバイブルという事だ。同じ頃「BE-PAL」にも紹介されていた。バイブルとまで呼ばれているのであれば読んでみようと、本屋で探したが小さな書店では置いてなかった。銀座の本屋で見つけて驚いた。文庫本で厚さ2cm以上、507ページもあるのだ。こんな本を読むのはシェークスピア以来だ。講談社学術文庫から1991年第1刷発行で佐渡谷重信訳の定価1,200円。果たして読み切れるのであろうか?と思ったが、それほど難しい文章に訳されていない感じがしたので購入する事にした。しっかりと領収書をもらい仕事の資料として経費で落とした。
読み進めるとなるほど面白い。面白くない所もあるのでなかなか読み進まない。面白い所と面白くない所がはっきりしている本だ。後半に行くほど面白くなくなってくるという厄介な本でもある。それでも1年かけてなんとか読破した。
「森の生活」の看板を掲げていながら読破していない人もいるほど最後まで読み切るのは難しい。何故私がそれほど「森の生活-ウォールデン-」にこだわったのかは、そこに森の哲学があったからだ。ソローは人が生きる意味を探し続けていた。自然の中から、森の中から答えを見つけようとしていた。これがバイブルと言われる所以なのだろう。
私も森の哲学を探しに行く事にした。
私はいろいろな本を読み映画を見てその度に感化されてきた。しかし実生活の中ではそれほど本の感化は長続きしない。ヤクザ映画を見た後に肩を揺らしてガニ股で闊歩するようなもので、すぐに自分本来の姿にもどってしまう。17年間も私の実生活に感化し続けている本も珍しいだろう。太宰治や夏目漱石のように内面的に感化し続けている本もあるが、それらは実生活の表には出てこない。
「森の生活-ウォールデン-」が何故それほど私の人生に長く感化し続けているのかを考えてみると答えは簡単なのかもしれない。素の私の姿が「森の生活-ウォールデン-」なのである。中学の時に出家して寺に入り坊さんになろうと思った。それが高校を卒業して東京に出ると、ディスコに通い酒を飲みナンパしてカラオケを歌い、海に山にと釣りやスキーと遊び回った。業界に入ってからは美味しいものを食べて高い酒を飲み、ナンパ、キャバクラ、フィリピンパブ、ソープランドとそれなりに派手な遊びもした。ほとんどが自分の金ではなく会社の経費と接待費だ。まだバブルの余波が残っていた。
そんな実生活に溺れ少し落ち着いた頃に「森の生活-ウォールデン-」に出会い、素の自分の姿に気付かせてくれただけなのかもしれない。まさか本当に森の生活ができるとは思ってはいなかったが少しずつ近づいている。今のところ無理な感じも起きていない。自分が派手好きな映像制作プロデューサーなのか、森の哲人なのか正解はわからない。おそらく両方とも自分であろう。
一つの生き方ではなく、いろんな生き方を「たった一度の人生」の中でしてみたかった。私は必然と森の哲人を選び、セカンドステージに立つことにした。素の私を探しに。
生きるとはどういう事なのかを知りたかった。ソローと全く同じ想いだ。生きるために働くのではなく、働くために生きるのではなく、生きるために生きる生活を見つけたかった。答えは森の中にあるはずだ。
始まり
東京のハローワークで仕事を探す所から森の生活が始まった。1994年にはバブルがはじけてU・Iターンブームでもあった。南か北か?農業か林業か?ハローワークで求人情報を見ながら決めたのが、北海道札幌に本社がある林業の技術員。正社員のサラリーマンだ。
季節雇用など正社員以外の求人は多かったが、正社員の求人は少なく、まずは年間安定した収入が期待できるサラリーマンからの挑戦だ。
求人会社に応募書類を郵送し、社長が札幌から東京に出て来た時に面接をして内定となった。道内の数カ所に営業所があるという事で、希望を聞かれ道東の阿寒を第一希望としてお願いした。
希望通り阿寒営業所での雇用が決まり、新築のマンションを社宅として借り上げて用意してもらって引っ越し代も全額を会社負担という恵まれた待遇での転職だ。転入時には社員から作業員の5名程が荷物の搬入の手伝いに来た。会社経費の歓迎会も開いてもらい、これが北海道の常識なのかと驚いてしまった。
「郷に入れば郷に従え」と言うが私は自分のスタイルを未だに変えていない。つまり郷に従っていないのだ。面接での社長の言葉は「新しい人材を入れて、新しい風を起こして欲しい」との事だった。でも、私が社内で浮いていると「みんなに会わせるように」との事だ。同じ人間が真逆な事をどうして平気で言えるのかと思う程その場しのぎの人が多い。これは北海道だからというわけではなく、東京でも当たり前にあるのだろうが、東京ではあまり他人に言葉にする人が少なく、浮いていてもいなくてもそれを問題にする人が少ないからだろう。地方ではなかなかそうはいかないようだ。心配してなんとかうまくまとめようとする。世の中に馬が合う人なんてそうそういないのにみんな仲良しなのだ。仲良しの振りをしているのだ。それが地方での最も安全で楽な生き方だ。そんな生き方をしていない私は未だに地方で浮いている。
造材
山に立っている木を買って山から木を伐り出し、丸太にして原木を売ってお金に換える。山の立木を切り出し原木にするまでの作業を請け負う。木をお金にするための商売だ。
1996年ごろ中国の内モンゴルにポプラの木を植えにいった時に鳥取大学の教授に「私は北海道で造材作業をしている」と言ったら「山荒し」と言われた。京都議定書のおかげで少しずつ造材も「山荒し」のイメージから「森づくり」に移行しているように感じる。
何のことはない荒らす山がなくなっただけなのかもしれない。天然林施行がなくなり人工林施行となればイメージはガラッと変わる。「健康な森を維持するためには手入れが必要」とメディアも取り上げる。
2009年の森林環境ツアーの中で「木を伐っても良いか?悪いか?」を聞くと参加者全員が「伐っても良い」と答えた日があった。世も末である。「山荒し」と呼ばれた頃が懐かしい。
帳場
9月の阿寒はまだ暑かった。朝晩はぐっと冷え込むが昼間には25度を超える日も続いた。最初についた仕事は造材現場での山土場の帳場だ。山から次々と搬出されてくる全幹の集材木を樹種によって決められた長さに採材して、小口の寸面を計りチョークで書き込み、野帳に受け入れる。単純な作業だがどれが何の木なのか樹種がさっぱりわからない。トドマツとアカエゾマツの違いすらおぼつかないのだ。
今ではトドマツ、カラマツ、アカエゾマツなどの人工林の造材ばかりなので、樹種がわからなくても山土場の帳場はできる。1994年にはまだまだ国有林の天然林の択伐がほとんどで、樹種がわからなかったら仕事にならない楽しい造材現場だった。
森には多くの種類の樹木がある事を知り、それらがそれぞれ最適な用途に使われているのだ。楽器、家具、フローリング、建築材、内装材、ベニヤ、魚箱、紙と。人はずっと木と生きてきた。木材を利用して、どの樹種を何に使えば良いのかを知った。これから広葉樹天然林の伐採はどんどん少なくなるだろう。使える樹種が減り、樹種がわかる人が減り、せっかく知り得た樹種別の使い道もストックしている材が無くなれば数十年のお預けになるかもしれない。数十年後にはまたろいろな樹種が成長し伐り出されてくることになるが、そのころの採材はどうなるのだろう。
何故これほどまで樹種によって採材され選別されるのか嫌でしょうがなかったが、今ではそれが森の最大の楽しみだと思う。
樹種
山土場に搬出される木は20種類以上の樹種があるのだと思う。数えた事がないのでハッキリしないが、まずは20種類程を覚えればそれなりの仕事にはなるかと思う。しかし、どれも同じに見える。違いが解らないのだ。森の中で木を見たわけではなく、山土場に出てくる全幹の木だ。枝も払われ葉っぱはもちろんついていない。樹種を見分ける要素は樹皮と小口だ。小口の臭いもあったがいちいち臭いなんて嗅いでられない。集材木は次々と搬出されてくる。まずは自分で見分けられるトドマツから印をつけ、先輩帳場や土場切りの作業員に樹種を確認してから印を付ける所から始まる。とにかく樹種を見分けられるようになるまでには苦労した。シコロ、シンコ、アオキ、ガンビ、アオジナ、オンコといった図鑑にも載っていないような名前で呼び合うのだ。最初はそれが木の名前なのかさえも区別がつかなかった。今では苦労して覚えた樹種は私の宝だ。樹皮だけで樹種がわかるのだから。こういった45歳はなかなか少ないと思う。それが役に立つかどうかはこれからの私の生き方次第だ。
森林セラピーの中で「違いのわかる男と女」といったメニューをつくった。この木とあの木が同じ種類の木なのかを当ててもらうのだ。葉っぱが付いていれば簡単だが、落葉した木は樹皮と樹形での判断となりなかなか難しい。
森の生活では違いがわかる事が最も大切な事だ。そして何に使えるのかを知る。名前を知らなくても生きていける。違いがわかるようになるのは見慣れる事だ。簡単な事だが時間がかかる。森の生活は長い時間が必要になる。
人生の中でも違いがわかることが大事だ。漠然と同じように眺めるのではなく、それぞれの違いが見て取れる肥えた目を身につけることだ。違いがわかれば人生のジャッジも簡単になる。
山土場
山から集材木が搬出されてこないと、土場切り作業員とただ座って待っているのだ。土場切り作業員にはいじめられていたので話をするわけでもなく黙って森の中で待っている。これが良かったのかもしれない。慣れない仕事はきつかったが森を感じる時間があった。いろんなものを見ることが出来た。いろんな音を聞くことができた。いろんな臭いを嗅ぐことがことができた。いろんなものに触り、いろんな味を知った。自然と森の感じ方を身に付けた。周りの作業員にはいろんなことを教わった。何十年と森に中にいるのだ。とにかくいろんなことを知っている。嘘も教わったがホントも教わった。
毎日、森に通い森の時間を積み重ねる。森の初めてが毎日ある。森の時間をもらいながら給料ももらい、森を知る。林業は森の生活への近道なのかと思う。
いじめる土場切り作業員と気まずい森での時間も無駄ではなかった。人生には本当に無駄がないのだ。自分のアンテナを張っていることが必要だが。土場切り作業員との気まずさが緊張のアンテナを張らしてくれたのかもしれない。もし土場切り作業員と仲が良かったら、あーだこーだとクッチャベって森を感じることができなかっただろう。何が良くて何が悪いのかも人生ではわからない。いじめてくれてありがとうということになるのだから。なのにわかったようなことを言う大人が多い。みんな仲良くが本当に良いと信じているのだろうか?そんなことがこの世にあり得ないことに気付かないのだろうか?
森の中での生き物は生きるか死ぬかの時間が永遠に続く。厳しい自然の森の時間の中でもみんな仲良くはあり得ないのだ。みんな仲良くは生物にとって不自然な体系となる。人間社会は不自然きわまりない方向に向かおうとしている。何が良いのか悪いのか?世の中もわかっていないようである。
ゴミ
林業の仕事に就いて最初に驚いたのはゴミの投げ捨てだ。作業員はもちろん職員・帳場、林野庁の職員ですら森にゴミを投げ捨てる人がいた。弁当の食べ残し・かすから空き缶・ペットボトル。使えなくなったチェーンソーのチェーン、ヤスリ、ヤッケ、地下足袋、長靴となんでも森に投げ捨てていく。集材ブルドーザーのワイーヤー、グリース、オイル缶などの大型のゴミも捨てられた。オイル交換は山に垂れ流し。山を歩いていると以前に捨てられたドラム缶なども見られる。国有林はゴミの山だ。
北海道では「捨てる」ことを「投げる」と言う。「捨てる」意識をごまかした方言のように感じる。林野庁でも少しずつゴミの投げ捨てに厳しくなり事業者の意識も改善されているようだ。まだ作業員の意識までは浸透はしていないように感じる。
今でも当たり前に捨てられているのがタバコの吸い殻だ。こればっかりは無くならないと思う。携帯灰皿を持たせても森に捨てるのだ。日常的な習慣と吸い殻の小ささから罪悪感を感じないのだろう。一生懸命に穴を掘ってまで山に捨てようとする。国有林を全面禁煙にする必要があるだろう。
林業では自分が働いているフィールドにゴミを捨てると言うことは今まで当たり前にされてきたようである。そんな中に突然入ると驚いてしまうのだが、入ってしまうと否応なく慣らされてしまう。私も多くのゴミを森に捨ててきた。他人のゴミも気に留めることもなく、拾うこともなく、山にゴミを放置してきた。それが林業の当たり前だと思い知らされたのだ。
ゴミを持ち帰ろうと作業車に積んでおくと、いつの間にかそのゴミは森に捨てられているのだ。人目に付かないように車に隠しておいても帰る頃には車はきれいになっている。私が手に持っている空き缶をわざわざ森に投げてくれるのだ。通勤の道中のゴミは車から路肩に投げ捨てられる。みんながみんなそれが当たり前のように森で働いているのだ。
私がそれに慣れるのもそれほど時間はかからなかった。始めは極力、森にゴミを捨てなくてもいいように勤めたが、森にゴミを捨てる罪悪感はどんどん薄れていった。
もちろんそれで済むはずもなく、林野庁からゴミの投げ捨ての警告がされると今までゴミを投げ捨てていた事業者もゴミを拾うように指示する。作業員が捨てたゴミを拾い集めるようになったが、そのゴミは重機で穴を掘って埋めてしまうのだ。今まで目に付いていたものを見えなくしただけである。結局ゴミは森に捨てられたのだ。今でもこのようなことが森の現場でされているのかもしれない。
森にゴミを投げ捨ててきた罪悪感は一生消えないだろう。そのうちバチも当たるだろう。林業を離れてからは森にゴミを捨てなくても良くなった。他人が捨てるゴミを拾う必要もなくなった。周りの人は誰も森にゴミを投げ捨てない。それは救いだ。いつか罪滅ぼしに森のゴミを拾うバランティア活動ができればと思う。国有林の山土場の周りには今でもゴミが放置されているのかもしれない。
森に自分の弱さを思い知らされた。易きに流される時を過ごすと、苦しく思う時が続く。
盗伐
山子(杣夫・きこり)が山に入り指定された立木を伐倒する。国有林では伐る木の印としてナンバーテープを胸の高さにガンタッカでとめられ刻印が打たれる。根元にも刻印を打つ場合もある。契約の形態に違って立木の印は異なる。
盗伐とは契約とは違う印のされていない木を伐って盗むことである。1997年に「やまりん」の盗伐が指摘され大きな波紋を広げた。それ以前に印のない木を山子が伐っているのを知っていた。「代替え」と呼んでいた。
根元に刻印のある木は代替えはできない。伐っても根元の刻印が残るからだ。これは立木販売契約のように林野庁が指定した立木を売る時なのだが、全ての契約で根元の刻印が徹底されていたのかというとそうでもなかったような記憶がある。奥の山に良い木があると黙って伐ってしまう。森林官と相談して支障木として伐ってしまうなどいろいろな手法で木は伐られていった。詳細はもう記憶にない。今さらこれらを立証することは不可能だろう。
根元に刻印のない契約の代替えは簡単だ。人工林の定性間伐などは根元の刻印がなかった。胸の位置のナンバーテープをマイナスドライバーで外し近くにあるより良い木を伐るのだ。作業員いわく「盗んだのではなくより山に良い木を替わりに伐った。山は良くなる」とのことだ。もちろん林野庁の立木調査が完璧かと言うとそうではない。ビビってると言った感じがした。せっかく伐採に入るのに販売木の割り合いが少なく感じていた。30%ほどなのであろうか?伐倒木の割り合いが少ないと残される木の多くが伐倒支障や集材などで傷つけられる。残した意味があればと思う。
「やまりん」は代替え以上の木に手を出したて盗伐となったのだろう。私の勤めていた会社も盗伐が明らかになり林野長の契約ができなくなった。盗伐は私が担当した現場ではなかったが、担当した現場が盗伐となってもおかしくない状況だったと思う。造材責任者は国有林への立入りができなくなった。直接に盗伐とは関係がなかったが問題があったことは確かだ。
森の素晴らしさは、ほとんど人目に付かないことである。林業にも言える。建築・土木ほど人目に付くことはない。山子は一人で自分の採面を伐る。ブルドーザーは一人で山子の後を追い集材する。山土場に出てきて集材木は初めて複数の人の目にさらされる。山土場での集材木が調査木なのか盗伐木なのか代替え木なのか確認されることはない。それが造材現場だと教えてくれて目の前で代替えの意味を教えてくれたた山子がいたから私はここに書ける。山子が見る林野庁の調査の不具合も教えてくれた。森づくりは人それぞれである。
30年以上森で木を見てきた山子が勝手に調査木を代替えする。調査したのは北海道に来て数年の若い林野庁職員なのかもしれない。ビビってる調査物件を見ると感じてしまう。伐る時に伐れない物件は残留木を傷つけて余計に森を壊す。ビビらずバランスがとれる調査員が必要となる。
キャリアではなく役職で森がつくられている。人間社会では通用するかもしれないが自然界では無理だろう。森は社会経済の枠の中に治まらないだろう。自然の森は人以前にあったのだから。
森を知るには森の時間を積み重ねることだと思う。そして樹種も山菜もキノコもそれらを必要としないと覚えられない。大人は仕事と生活で必要なこと意外は覚えられないのである。
〜森の生活〜
会社を解雇され社宅を出ることになった山中慎一朗に否応もなく始まった釧路湿原鶴居村フォレストハウスでの森の生活。1992年ヘンリー・D・ソローとの出会いから始まった森の生活を振り返ります。
〜森の物語〜
おばあちゃんの森 森のキモチの原点となったお話です。カムイの森 森のキモチからの短編応募作品です。
森のキモチ 林業・森林セラピー・森林インストラクター・アイヌ・環境カウンセラーから学んだ森の物語です。
サード・ステージ 45歳で第3の人生が始まった男の物語。
〜森のセラピー〜
北海道唯一・全国民間初の森林セラピー基地プライベートフォレストのプロデュース。富良野、札幌国際大学、北海道大学、ポー川史跡自然公園などの研究員・アドバイザーとしての中から生まれた山中慎一朗の森での過ごし方です。
〜森づくり革命〜
15年間の森の生活から発見した新しい森づくりの提案です。林業から森林セラピー、森林インストラクター、環境カウンセラー、森林プロデューサーの中から生まれました。
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