1992年、映像制作の仕事も6年となり慣れてくると人はいろいろと考え始める。自然の中での生活をしてみたいと思い、仲の良かったカメラマンに話をするとヘンリー・デビット・ソローの「森の生活-ウォールデン-」を紹介してもらった。ナチュラリストのバイブルという事だ。同じ頃「BE-PAL」にも紹介されていた。バイブルとまで呼ばれているのであれば読んでみようと、本屋で探したが小さな書店では置いてなかった。銀座の本屋で見つけて驚いた。文庫本で厚さ2cm以上、507ページもあるのだ。こんな本を読むのはシェークスピア以来だ。講談社学術文庫から1991年第1刷発行で佐渡谷重信訳の定価1,200円。果たして読み切れるのであろうか?と思ったが、それほど難しい文章に訳されていない感じがしたので購入する事にした。しっかりと領収書をもらい仕事の資料として経費で落とした。
読み進めるとなるほど面白い。面白くない所もあるのでなかなか読み進まない。面白い所と面白くない所がはっきりしている本だ。後半に行くほど面白くなくなってくるという厄介な本でもある。それでも1年かけてなんとか読破した。
「森の生活」の看板を掲げていながら読破していない人もいるほど最後まで読み切るのは難しい。何故私がそれほど「森の生活-ウォールデン-」にこだわったのかは、そこに森の哲学があったからだ。ソローは人が生きる意味を探し続けていた。自然の中から、森の中から答えを見つけようとしていた。これがバイブルと言われる所以なのだろう。
私も森の哲学を探しに行く事にした。
私はいろいろな本を読み映画を見てその度に感化されてきた。しかし実生活の中ではそれほど本の感化は長続きしない。ヤクザ映画を見た後に肩を揺らしてガニ股で闊歩するようなもので、すぐに自分本来の姿にもどってしまう。17年間も私の実生活に感化し続けている本も珍しいだろう。太宰治や夏目漱石のように内面的に感化し続けている本もあるが、それらは実生活の表には出てこない。
「森の生活-ウォールデン-」が何故それほど私の人生に長く感化し続けているのかを考えてみると答えは簡単なのかもしれない。素の私の姿が「森の生活-ウォールデン-」なのである。中学の時に出家して寺に入り坊さんになろうと思った。それが高校を卒業して東京に出ると、ディスコに通い酒を飲みナンパしてカラオケを歌い、海に山にと釣りやスキーと遊び回った。業界に入ってからは美味しいものを食べて高い酒を飲み、ナンパ、キャバクラ、フィリピンパブ、ソープランドとそれなりに派手な遊びもした。ほとんどが自分の金ではなく会社の経費と接待費だ。まだバブルの余波が残っていた。
そんな実生活に溺れ少し落ち着いた頃に「森の生活-ウォールデン-」に出会い、素の自分の姿に気付かせてくれただけなのかもしれない。まさか本当に森の生活ができるとは思ってはいなかったが少しずつ近づいている。今のところ無理な感じも起きていない。自分が派手好きな映像制作プロデューサーなのか、森の哲人なのか正解はわからない。おそらく両方とも自分であろう。
一つの生き方ではなく、いろんな生き方を「たった一度の人生」の中でしてみたかった。私は必然と森の哲人を選び、セカンドステージに立つことにした。素の私を探しに。
生きるとはどういう事なのかを知りたかった。ソローと全く同じ想いだ。生きるために働くのではなく、働くために生きるのではなく、生きるために生きる生活を見つけたかった。答えは森の中にあるはずだ。
〜森の生活〜
会社を解雇され社宅を出ることになった山中慎一朗に否応もなく始まった釧路湿原鶴居村フォレストハウスでの森の生活。1992年ヘンリー・D・ソローとの出会いから始まった森の生活を振り返ります。
〜森の物語〜
おばあちゃんの森 森のキモチの原点となったお話です。カムイの森 森のキモチからの短編応募作品です。
森のキモチ 林業・森林セラピー・森林インストラクター・アイヌ・環境カウンセラーから学んだ森の物語です。
サード・ステージ 45歳で第3の人生が始まった男の物語。
〜森のセラピー〜
北海道唯一・全国民間初の森林セラピー基地プライベートフォレストのプロデュース。富良野、札幌国際大学、北海道大学、ポー川史跡自然公園などの研究員・アドバイザーとしての中から生まれた山中慎一朗の森での過ごし方です。
〜森づくり革命〜
15年間の森の生活から発見した新しい森づくりの提案です。林業から森林セラピー、森林インストラクター、環境カウンセラー、森林プロデューサーの中から生まれました。
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