森の生活
会社を解雇され社宅を出ることになった山中慎一朗に否応もなく始まった釧路湿原鶴居村フォレストハウスでの森の生活。1992年ヘンリー・D・ソローとの出会いから始まった森の生活を振り返ります。
  〜森の物語〜
おばあちゃんの森 森のキモチの原点となったお話です。
カムイの森 森のキモチからの短編応募作品です。
森のキモチ 林業・森林セラピー・森林インストラクター・アイヌ・環境カウンセラーから学んだ森の物語です。
サード・ステージ 45歳で第3の人生が始まった男の物語。
  〜森のセラピー〜
北海道唯一・全国民間初の森林セラピー基地プライベートフォレストのプロデュース。富良野、札幌国際大学、北海道大学、ポー川史跡自然公園などの研究員・アドバイザーとしての中から生まれた山中慎一朗の森での過ごし方です。
  森づくり革命
15年間の森の生活から発見した新しい森づくりの提案です。林業から森林セラピー、森林インストラクター、環境カウンセラー、森林プロデューサーの中から生まれました。

2009年8月18日火曜日

森の生活「始まり」〜森林プロデューサー山中慎一朗

 東京のハローワークで仕事を探す所から森の生活が始まった。1994年にはバブルがはじけてU・Iターンブームでもあった。南か北か?農業か林業か?ハローワークで求人情報を見ながら決めたのが、北海道札幌に本社がある林業の技術員。正社員のサラリーマンだ。
 季節雇用など正社員以外の求人は多かったが、正社員の求人は少なく、まずは年間安定した収入が期待できるサラリーマンからの挑戦だ。
 求人会社に応募書類を郵送し、社長が札幌から東京に出て来た時に面接をして内定となった。道内の数カ所に営業所があるという事で、希望を聞かれ道東の阿寒を第一希望としてお願いした。
 希望通り阿寒営業所での雇用が決まり、新築のマンションを社宅として借り上げて用意してもらって引っ越し代も全額を会社負担という恵まれた待遇での転職だ。転入時には社員から作業員の5名程が荷物の搬入の手伝いに来た。会社経費の歓迎会も開いてもらい、これが北海道の常識なのかと驚いてしまった。

 「郷に入れば郷に従え」と言うが私は自分のスタイルを未だに変えていない。つまり郷に従っていないのだ。面接での社長の言葉は「新しい人材を入れて、新しい風を起こして欲しい」との事だった。でも、私が社内で浮いていると「みんなに会わせるように」との事だ。同じ人間が真逆な事をどうして平気で言えるのかと思う程その場しのぎの人が多い。これは北海道だからというわけではなく、東京でも当たり前にあるのだろうが、東京ではあまり他人に言葉にする人が少なく、浮いていてもいなくてもそれを問題にする人が少ないからだろう。地方ではなかなかそうはいかないようだ。心配してなんとかうまくまとめようとする。世の中に馬が合う人なんてそうそういないのにみんな仲良しなのだ。仲良しの振りをしているのだ。それが地方での最も安全で楽な生き方だ。そんな生き方をしていない私は未だに地方で浮いている。

0 件のコメント:

コメントを投稿