森の生活
会社を解雇され社宅を出ることになった山中慎一朗に否応もなく始まった釧路湿原鶴居村フォレストハウスでの森の生活。1992年ヘンリー・D・ソローとの出会いから始まった森の生活を振り返ります。
  〜森の物語〜
おばあちゃんの森 森のキモチの原点となったお話です。
カムイの森 森のキモチからの短編応募作品です。
森のキモチ 林業・森林セラピー・森林インストラクター・アイヌ・環境カウンセラーから学んだ森の物語です。
サード・ステージ 45歳で第3の人生が始まった男の物語。
  〜森のセラピー〜
北海道唯一・全国民間初の森林セラピー基地プライベートフォレストのプロデュース。富良野、札幌国際大学、北海道大学、ポー川史跡自然公園などの研究員・アドバイザーとしての中から生まれた山中慎一朗の森での過ごし方です。
  森づくり革命
15年間の森の生活から発見した新しい森づくりの提案です。林業から森林セラピー、森林インストラクター、環境カウンセラー、森林プロデューサーの中から生まれました。

2009年8月18日火曜日

森の生活「造材・山土場」〜森林プロデューサー山中慎一朗

 山から集材木が搬出されてこないと、土場切り作業員とただ座って待っているのだ。土場切り作業員にはいじめられていたので話をするわけでもなく黙って森の中で待っている。これが良かったのかもしれない。慣れない仕事はきつかったが森を感じる時間があった。いろんなものを見ることが出来た。いろんな音を聞くことができた。いろんな臭いを嗅ぐことがことができた。いろんなものに触り、いろんな味を知った。自然と森の感じ方を身に付けた。周りの作業員にはいろんなことを教わった。何十年と森に中にいるのだ。とにかくいろんなことを知っている。嘘も教わったがホントも教わった。
 毎日、森に通い森の時間を積み重ねる。森の初めてが毎日ある。森の時間をもらいながら給料ももらい、森を知る。林業は森の生活への近道なのかと思う。

 いじめる土場切り作業員と気まずい森での時間も無駄ではなかった。人生には本当に無駄がないのだ。自分のアンテナを張っていることが必要だが。土場切り作業員との気まずさが緊張のアンテナを張らしてくれたのかもしれない。もし土場切り作業員と仲が良かったら、あーだこーだとクッチャベって森を感じることができなかっただろう。何が良くて何が悪いのかも人生ではわからない。いじめてくれてありがとうということになるのだから。なのにわかったようなことを言う大人が多い。みんな仲良くが本当に良いと信じているのだろうか?そんなことがこの世にあり得ないことに気付かないのだろうか?
 森の中での生き物は生きるか死ぬかの時間が永遠に続く。厳しい自然の森の時間の中でもみんな仲良くはあり得ないのだ。みんな仲良くは生物にとって不自然な体系となる。人間社会は不自然きわまりない方向に向かおうとしている。何が良いのか悪いのか?世の中もわかっていないようである。

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