山子(杣夫・きこり)が山に入り指定された立木を伐倒する。国有林では伐る木の印としてナンバーテープを胸の高さにガンタッカでとめられ刻印が打たれる。根元にも刻印を打つ場合もある。契約の形態に違って立木の印は異なる。
盗伐とは契約とは違う印のされていない木を伐って盗むことである。1997年に「やまりん」の盗伐が指摘され大きな波紋を広げた。それ以前に印のない木を山子が伐っているのを知っていた。「代替え」と呼んでいた。
根元に刻印のある木は代替えはできない。伐っても根元の刻印が残るからだ。これは立木販売契約のように林野庁が指定した立木を売る時なのだが、全ての契約で根元の刻印が徹底されていたのかというとそうでもなかったような記憶がある。奥の山に良い木があると黙って伐ってしまう。森林官と相談して支障木として伐ってしまうなどいろいろな手法で木は伐られていった。詳細はもう記憶にない。今さらこれらを立証することは不可能だろう。
根元に刻印のない契約の代替えは簡単だ。人工林の定性間伐などは根元の刻印がなかった。胸の位置のナンバーテープをマイナスドライバーで外し近くにあるより良い木を伐るのだ。作業員いわく「盗んだのではなくより山に良い木を替わりに伐った。山は良くなる」とのことだ。もちろん林野庁の立木調査が完璧かと言うとそうではない。ビビってると言った感じがした。せっかく伐採に入るのに販売木の割り合いが少なく感じていた。30%ほどなのであろうか?伐倒木の割り合いが少ないと残される木の多くが伐倒支障や集材などで傷つけられる。残した意味があればと思う。
「やまりん」は代替え以上の木に手を出したて盗伐となったのだろう。私の勤めていた会社も盗伐が明らかになり林野長の契約ができなくなった。盗伐は私が担当した現場ではなかったが、担当した現場が盗伐となってもおかしくない状況だったと思う。造材責任者は国有林への立入りができなくなった。直接に盗伐とは関係がなかったが問題があったことは確かだ。
森の素晴らしさは、ほとんど人目に付かないことである。林業にも言える。建築・土木ほど人目に付くことはない。山子は一人で自分の採面を伐る。ブルドーザーは一人で山子の後を追い集材する。山土場に出てきて集材木は初めて複数の人の目にさらされる。山土場での集材木が調査木なのか盗伐木なのか代替え木なのか確認されることはない。それが造材現場だと教えてくれて目の前で代替えの意味を教えてくれたた山子がいたから私はここに書ける。山子が見る林野庁の調査の不具合も教えてくれた。森づくりは人それぞれである。
30年以上森で木を見てきた山子が勝手に調査木を代替えする。調査したのは北海道に来て数年の若い林野庁職員なのかもしれない。ビビってる調査物件を見ると感じてしまう。伐る時に伐れない物件は残留木を傷つけて余計に森を壊す。ビビらずバランスがとれる調査員が必要となる。
キャリアではなく役職で森がつくられている。人間社会では通用するかもしれないが自然界では無理だろう。森は社会経済の枠の中に治まらないだろう。自然の森は人以前にあったのだから。
〜森の生活〜
会社を解雇され社宅を出ることになった山中慎一朗に否応もなく始まった釧路湿原鶴居村フォレストハウスでの森の生活。1992年ヘンリー・D・ソローとの出会いから始まった森の生活を振り返ります。
〜森の物語〜
おばあちゃんの森 森のキモチの原点となったお話です。カムイの森 森のキモチからの短編応募作品です。
森のキモチ 林業・森林セラピー・森林インストラクター・アイヌ・環境カウンセラーから学んだ森の物語です。
サード・ステージ 45歳で第3の人生が始まった男の物語。
〜森のセラピー〜
北海道唯一・全国民間初の森林セラピー基地プライベートフォレストのプロデュース。富良野、札幌国際大学、北海道大学、ポー川史跡自然公園などの研究員・アドバイザーとしての中から生まれた山中慎一朗の森での過ごし方です。
〜森づくり革命〜
15年間の森の生活から発見した新しい森づくりの提案です。林業から森林セラピー、森林インストラクター、環境カウンセラー、森林プロデューサーの中から生まれました。
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