林業の世界に入ってもっとも苦しんだのがタバコだ。私は1990年にタバコをやめていた。目の前でタバコを吸われても吸いたいとも思わなかったが受動喫煙に悩まされた。せっかくタバコをやめてもフィルターの通っていない煙を吸っていたのでは健康被害は計り知れない。
作業員のほとんどが愛煙家だ。職員も半数以上がタバコをやめられない。山の作業現場であれば風向きで逃げることができるが、事務所の中では逃げることもできない。2008年まで事務所は禁煙でも分煙でもなかった。私が「タバコで気分が悪くなる」と出勤を拒んでやっと事務所が禁煙となった。林業の世界では受動喫煙を覚悟した方だ良いかと思う。
森の中で燻らしているタバコは本当にうまく見える。森の生活にはタバコはつきものであったように感じる。ソローも吸っていたのであろうか?森の中で一人で燻らし一人で死んでいくのであればタバコは決して悪者ではない。タバコがこれほど悪者となった要因は受動喫煙と医療費である。今の社会と森の生活では価値観が大きく変わる。集団と一人。人間社会にそぐわないものは全て排除するということはもしかしたら危険なことなのかもしれない。もちろんタバコは人間社会からなくならないと思うが、タバコ文化は森の生活で守られるかもしれない。
〜森の生活〜
会社を解雇され社宅を出ることになった山中慎一朗に否応もなく始まった釧路湿原鶴居村フォレストハウスでの森の生活。1992年ヘンリー・D・ソローとの出会いから始まった森の生活を振り返ります。
〜森の物語〜
おばあちゃんの森 森のキモチの原点となったお話です。カムイの森 森のキモチからの短編応募作品です。
森のキモチ 林業・森林セラピー・森林インストラクター・アイヌ・環境カウンセラーから学んだ森の物語です。
サード・ステージ 45歳で第3の人生が始まった男の物語。
〜森のセラピー〜
北海道唯一・全国民間初の森林セラピー基地プライベートフォレストのプロデュース。富良野、札幌国際大学、北海道大学、ポー川史跡自然公園などの研究員・アドバイザーとしての中から生まれた山中慎一朗の森での過ごし方です。
〜森づくり革命〜
15年間の森の生活から発見した新しい森づくりの提案です。林業から森林セラピー、森林インストラクター、環境カウンセラー、森林プロデューサーの中から生まれました。
2009年8月20日木曜日
森の生活「方言」〜森林プロデューサー山中慎一朗
山に入る前に飯場で打ち合わせをする、最初は何を言っているのかほとんど理解できなかった。作業員のほとんどが50歳代以上の地元民だ。北海道弁で話が進む。私は何度も北海道には来ていて、よく使われる方言は理解していたからコミュニケーションには何の問題もないと思っていたが甘かった。
ツネ、ヒラ、サワ、タイラ、ヤチ、ヒラマエ、ダッポ、サイメン、ガッポ、ドンコロ、バッコン、ハカマ等の林業ならでは呼び名と、シンコ、シコロ、セン、オンコ、ガンビ、タモ、アサダ、アオキ、ドスナラ、アオジナ等の林業で使われる木の名前が入り交じる。ゴウハン、セイカン、ヨウザイ、パルプ等の採材用語。ブル、デーヨン、デーサッンジュウ、フォーク、ハイドバン、ユンボ、トビ、ガンタ、クサビ等の道具の名前。スン、シャク、タン、チョウブ、リュウベと昔ながらの単位と、聞いたことのない言葉が飛び交う。
方言というよりも専門用語で理解できなかったのだ。最初は全てが方言だと思い呆然とした。専門用語とわかればそれが何を指しているのかイメージして突き止めればよいのだ。作業員との会話で少しずつ理解することができた。
ソローのように森の中で一人で生活しているのであればコミュニケーションはいらない。自分ひとりが納得していれば良いのだ。それが一派的になんて呼ばれているのかを知らなくても用途がわかっていれば生きていける。しかし、本当に森の中で一人で生きていけるのだろうか?ソローは2年3ヶ月の森の生活を過ごした。28歳からの2年3ヶ月である。そして45歳で結核により他界する。とても森の生活が成立したとは思えない。森の生き物と同じように、コミュニケーションのない生活は人にもあり得ないように感じる。
ツネ、ヒラ、サワ、タイラ、ヤチ、ヒラマエ、ダッポ、サイメン、ガッポ、ドンコロ、バッコン、ハカマ等の林業ならでは呼び名と、シンコ、シコロ、セン、オンコ、ガンビ、タモ、アサダ、アオキ、ドスナラ、アオジナ等の林業で使われる木の名前が入り交じる。ゴウハン、セイカン、ヨウザイ、パルプ等の採材用語。ブル、デーヨン、デーサッンジュウ、フォーク、ハイドバン、ユンボ、トビ、ガンタ、クサビ等の道具の名前。スン、シャク、タン、チョウブ、リュウベと昔ながらの単位と、聞いたことのない言葉が飛び交う。
方言というよりも専門用語で理解できなかったのだ。最初は全てが方言だと思い呆然とした。専門用語とわかればそれが何を指しているのかイメージして突き止めればよいのだ。作業員との会話で少しずつ理解することができた。
ソローのように森の中で一人で生活しているのであればコミュニケーションはいらない。自分ひとりが納得していれば良いのだ。それが一派的になんて呼ばれているのかを知らなくても用途がわかっていれば生きていける。しかし、本当に森の中で一人で生きていけるのだろうか?ソローは2年3ヶ月の森の生活を過ごした。28歳からの2年3ヶ月である。そして45歳で結核により他界する。とても森の生活が成立したとは思えない。森の生き物と同じように、コミュニケーションのない生活は人にもあり得ないように感じる。
2009年8月19日水曜日
森の生活「造材」〜森林プロデューサー山中慎一朗
山に立っている木を買って山から木を伐り出し、丸太にして原木を売ってお金に換える。山の立木を切り出し原木にするまでの作業を請け負う。木をお金にするための商売だ。
1996年ごろ中国の内モンゴルにポプラの木を植えにいった時に鳥取大学の教授に「私は北海道で造材作業をしている」と言ったら「山荒し」と言われた。京都議定書のおかげで少しずつ造材も「山荒し」のイメージから「森づくり」に移行しているように感じる。
何のことはない荒らす山がなくなっただけなのかもしれない。天然林施行がなくなり人工林施行となればイメージはガラッと変わる。「健康な森を維持するためには手入れが必要」とメディアも取り上げる。
2009年の私の森林環境ツアーの中で「木を伐っても良いか?悪いか?」を聞くと参加者全員が「伐っても良い」と答えた日があった。世も末である。「山荒し」と呼ばれた頃が懐かしい。
1996年ごろ中国の内モンゴルにポプラの木を植えにいった時に鳥取大学の教授に「私は北海道で造材作業をしている」と言ったら「山荒し」と言われた。京都議定書のおかげで少しずつ造材も「山荒し」のイメージから「森づくり」に移行しているように感じる。
何のことはない荒らす山がなくなっただけなのかもしれない。天然林施行がなくなり人工林施行となればイメージはガラッと変わる。「健康な森を維持するためには手入れが必要」とメディアも取り上げる。
2009年の私の森林環境ツアーの中で「木を伐っても良いか?悪いか?」を聞くと参加者全員が「伐っても良い」と答えた日があった。世も末である。「山荒し」と呼ばれた頃が懐かしい。
森づくり革命〜森林プロデューサー山中慎一朗
今までの森づくりは産官学が主導してきた。大学での論文、研究機関での実績、政府・自治体からの指導、それを鵜呑みにする民間企業により仲良く進められてきた。これからも変わらないだろう。
しかしその枠に収まらなかった地主がいた。自分の森林哲学を信じて森づくりをしていた。その地主との出会いは1998年。4年程の林業経験で私はほとほと林業に愛想が尽きて足を洗おうかとしていた時だ。地主は林業を面白く語った。私も林業への夢を語り意気投合して共に働くこととなった。地主が2005年に他界するまでの7年間の中で共に創り上げた森林哲学を受け継いで、森林プロデューサー山中慎一朗が枠に収まらない森づくりを提案する。
自分の森を知る
「森を持ってるんだけど、どうしたら良いの?」と聞かれる。「どこに自分の森があるのかわからない」「どんな森なのかわからない」という方もいる。
まずは所轄の役場に連絡して、地籍で調べてもらう。確認ができたら役場と森林組合に相談してみる。「自分の森を何かに活用できませんか?」といった漠然として質問で良い。
森と言っても様々だ。林道の脇にある人工林であったら森林組合は「除間伐をしたほうが良いかと」等とすぐに乗ってくるだろう。作業路もついてなくて車で乗り入れのできない天然林であったら「森林活用は難しい」と言った答えが帰ってくる。
「森まで車で行けますか?どんな森ですか?」との質問で自分の森の概況を知る。ここで実際に足を運んで自分の森を見るか、見ないかで全てが決まる。見ないのであれば売却を考えても良いかと思う。
自分の森を見る
道路がついていたら簡単だ。車で行ってみてくれば良い。しかし森には住所標識もなく看板も塀もない。役場もしくは森林組合の方に同行してもらうのが最も安心である。
道路がついていない場合も森林組合に相談すれば案内してもらえる。すぐにとはいかないだろうが何度も連絡を取れば可能生は大きい。森の状況、森の広さ、森の価値によって森林組合の対応は変わる。
自分の森のビジョンを描く
「どんな森をつくったら良いの?」「どんな森づくりをしたら良いの?」といった質問をいただく。答えは簡単だ「自分の好きなような森をつくったら良い」。
森林組合に相談したらもちろん答えが返ってくる。しかしその答えの多くは「補助金を投入しやすい森」への提案だ。国や自治体がすすめている森であれば問題なく補助金が出る。森林組合はその補助金事業の手数料をとっているので、簡単に補助金がつくような森づくりをすすめるのだ。それを鵜呑みにするのだけは避けた方が良い。森林組合のいうことを聞いて満足した森を手にしたという話は聞いたことがない。とても簡単なことだ。自分の好きなような森をつくればそれがどんな森になろうと人には文句を言わないが、森林組合のいうことを聞いたことによって文句をいっているのだ。立派なカラマツ林を前にして「こんなつまらない山」といっている。経済的活用の森を選んだのだからそちらで楽しむしかないだろう。
周りの森を見て回って「あんな森にしたい」というのが簡単だ。手入れがされている森の全てに補助金が入っているといっても良い。前例があれば補助金はつく。前例がなくても森林組合の仕様に合えば可能である。仕様に合うか合わないかは森林組合が考えてくれるので、何よりも大事なのは自分の森の数十年後のビジョンイメージだろう。自分の年齢から考えればこれからの森とのお付き合いの予想がつく。死んでからの森を夢見るよりも生きている間の森づくりを楽しむことをおススメする。どんなに素晴らしい未来の森よりも今の森を愛して欲しい。
環境的、生態的、公益的、経済的、健康保養的といった森の見方がある。どれかを選択するのではなく全てに通じる森づくりが「森づくり革命」だ。これからビジョンイメージの描き方を具体的に解説する。
しかしその枠に収まらなかった地主がいた。自分の森林哲学を信じて森づくりをしていた。その地主との出会いは1998年。4年程の林業経験で私はほとほと林業に愛想が尽きて足を洗おうかとしていた時だ。地主は林業を面白く語った。私も林業への夢を語り意気投合して共に働くこととなった。地主が2005年に他界するまでの7年間の中で共に創り上げた森林哲学を受け継いで、森林プロデューサー山中慎一朗が枠に収まらない森づくりを提案する。
自分の森を知る
「森を持ってるんだけど、どうしたら良いの?」と聞かれる。「どこに自分の森があるのかわからない」「どんな森なのかわからない」という方もいる。
まずは所轄の役場に連絡して、地籍で調べてもらう。確認ができたら役場と森林組合に相談してみる。「自分の森を何かに活用できませんか?」といった漠然として質問で良い。
森と言っても様々だ。林道の脇にある人工林であったら森林組合は「除間伐をしたほうが良いかと」等とすぐに乗ってくるだろう。作業路もついてなくて車で乗り入れのできない天然林であったら「森林活用は難しい」と言った答えが帰ってくる。
「森まで車で行けますか?どんな森ですか?」との質問で自分の森の概況を知る。ここで実際に足を運んで自分の森を見るか、見ないかで全てが決まる。見ないのであれば売却を考えても良いかと思う。
自分の森を見る
道路がついていたら簡単だ。車で行ってみてくれば良い。しかし森には住所標識もなく看板も塀もない。役場もしくは森林組合の方に同行してもらうのが最も安心である。
道路がついていない場合も森林組合に相談すれば案内してもらえる。すぐにとはいかないだろうが何度も連絡を取れば可能生は大きい。森の状況、森の広さ、森の価値によって森林組合の対応は変わる。
自分の森のビジョンを描く
「どんな森をつくったら良いの?」「どんな森づくりをしたら良いの?」といった質問をいただく。答えは簡単だ「自分の好きなような森をつくったら良い」。
森林組合に相談したらもちろん答えが返ってくる。しかしその答えの多くは「補助金を投入しやすい森」への提案だ。国や自治体がすすめている森であれば問題なく補助金が出る。森林組合はその補助金事業の手数料をとっているので、簡単に補助金がつくような森づくりをすすめるのだ。それを鵜呑みにするのだけは避けた方が良い。森林組合のいうことを聞いて満足した森を手にしたという話は聞いたことがない。とても簡単なことだ。自分の好きなような森をつくればそれがどんな森になろうと人には文句を言わないが、森林組合のいうことを聞いたことによって文句をいっているのだ。立派なカラマツ林を前にして「こんなつまらない山」といっている。経済的活用の森を選んだのだからそちらで楽しむしかないだろう。
周りの森を見て回って「あんな森にしたい」というのが簡単だ。手入れがされている森の全てに補助金が入っているといっても良い。前例があれば補助金はつく。前例がなくても森林組合の仕様に合えば可能である。仕様に合うか合わないかは森林組合が考えてくれるので、何よりも大事なのは自分の森の数十年後のビジョンイメージだろう。自分の年齢から考えればこれからの森とのお付き合いの予想がつく。死んでからの森を夢見るよりも生きている間の森づくりを楽しむことをおススメする。どんなに素晴らしい未来の森よりも今の森を愛して欲しい。
環境的、生態的、公益的、経済的、健康保養的といった森の見方がある。どれかを選択するのではなく全てに通じる森づくりが「森づくり革命」だ。これからビジョンイメージの描き方を具体的に解説する。
2009年8月18日火曜日
森の生活「造材・盗伐」〜森林プロデューサー山中慎一朗
山子(杣夫・きこり)が山に入り指定された立木を伐倒する。国有林では伐る木の印としてナンバーテープを胸の高さにガンタッカでとめられ刻印が打たれる。根元にも刻印を打つ場合もある。契約の形態に違って立木の印は異なる。
盗伐とは契約とは違う印のされていない木を伐って盗むことである。1997年に「やまりん」の盗伐が指摘され大きな波紋を広げた。それ以前に印のない木を山子が伐っているのを知っていた。「代替え」と呼んでいた。
根元に刻印のある木は代替えはできない。伐っても根元の刻印が残るからだ。これは立木販売契約のように林野庁が指定した立木を売る時なのだが、全ての契約で根元の刻印が徹底されていたのかというとそうでもなかったような記憶がある。奥の山に良い木があると黙って伐ってしまう。森林官と相談して支障木として伐ってしまうなどいろいろな手法で木は伐られていった。詳細はもう記憶にない。今さらこれらを立証することは不可能だろう。
根元に刻印のない契約の代替えは簡単だ。人工林の定性間伐などは根元の刻印がなかった。胸の位置のナンバーテープをマイナスドライバーで外し近くにあるより良い木を伐るのだ。作業員いわく「盗んだのではなくより山に良い木を替わりに伐った。山は良くなる」とのことだ。もちろん林野庁の立木調査が完璧かと言うとそうではない。ビビってると言った感じがした。せっかく伐採に入るのに販売木の割り合いが少なく感じていた。30%ほどなのであろうか?伐倒木の割り合いが少ないと残される木の多くが伐倒支障や集材などで傷つけられる。残した意味があればと思う。
「やまりん」は代替え以上の木に手を出したて盗伐となったのだろう。私の勤めていた会社も盗伐が明らかになり林野長の契約ができなくなった。盗伐は私が担当した現場ではなかったが、担当した現場が盗伐となってもおかしくない状況だったと思う。造材責任者は国有林への立入りができなくなった。直接に盗伐とは関係がなかったが問題があったことは確かだ。
森の素晴らしさは、ほとんど人目に付かないことである。林業にも言える。建築・土木ほど人目に付くことはない。山子は一人で自分の採面を伐る。ブルドーザーは一人で山子の後を追い集材する。山土場に出てきて集材木は初めて複数の人の目にさらされる。山土場での集材木が調査木なのか盗伐木なのか代替え木なのか確認されることはない。それが造材現場だと教えてくれて目の前で代替えの意味を教えてくれたた山子がいたから私はここに書ける。山子が見る林野庁の調査の不具合も教えてくれた。森づくりは人それぞれである。
30年以上森で木を見てきた山子が勝手に調査木を代替えする。調査したのは北海道に来て数年の若い林野庁職員なのかもしれない。ビビってる調査物件を見ると感じてしまう。伐る時に伐れない物件は残留木を傷つけて余計に森を壊す。ビビらずバランスがとれる調査員が必要となる。
キャリアではなく役職で森がつくられている。人間社会では通用するかもしれないが自然界では無理だろう。森は社会経済の枠の中に治まらないだろう。自然の森は人以前にあったのだから。
盗伐とは契約とは違う印のされていない木を伐って盗むことである。1997年に「やまりん」の盗伐が指摘され大きな波紋を広げた。それ以前に印のない木を山子が伐っているのを知っていた。「代替え」と呼んでいた。
根元に刻印のある木は代替えはできない。伐っても根元の刻印が残るからだ。これは立木販売契約のように林野庁が指定した立木を売る時なのだが、全ての契約で根元の刻印が徹底されていたのかというとそうでもなかったような記憶がある。奥の山に良い木があると黙って伐ってしまう。森林官と相談して支障木として伐ってしまうなどいろいろな手法で木は伐られていった。詳細はもう記憶にない。今さらこれらを立証することは不可能だろう。
根元に刻印のない契約の代替えは簡単だ。人工林の定性間伐などは根元の刻印がなかった。胸の位置のナンバーテープをマイナスドライバーで外し近くにあるより良い木を伐るのだ。作業員いわく「盗んだのではなくより山に良い木を替わりに伐った。山は良くなる」とのことだ。もちろん林野庁の立木調査が完璧かと言うとそうではない。ビビってると言った感じがした。せっかく伐採に入るのに販売木の割り合いが少なく感じていた。30%ほどなのであろうか?伐倒木の割り合いが少ないと残される木の多くが伐倒支障や集材などで傷つけられる。残した意味があればと思う。
「やまりん」は代替え以上の木に手を出したて盗伐となったのだろう。私の勤めていた会社も盗伐が明らかになり林野長の契約ができなくなった。盗伐は私が担当した現場ではなかったが、担当した現場が盗伐となってもおかしくない状況だったと思う。造材責任者は国有林への立入りができなくなった。直接に盗伐とは関係がなかったが問題があったことは確かだ。
森の素晴らしさは、ほとんど人目に付かないことである。林業にも言える。建築・土木ほど人目に付くことはない。山子は一人で自分の採面を伐る。ブルドーザーは一人で山子の後を追い集材する。山土場に出てきて集材木は初めて複数の人の目にさらされる。山土場での集材木が調査木なのか盗伐木なのか代替え木なのか確認されることはない。それが造材現場だと教えてくれて目の前で代替えの意味を教えてくれたた山子がいたから私はここに書ける。山子が見る林野庁の調査の不具合も教えてくれた。森づくりは人それぞれである。
30年以上森で木を見てきた山子が勝手に調査木を代替えする。調査したのは北海道に来て数年の若い林野庁職員なのかもしれない。ビビってる調査物件を見ると感じてしまう。伐る時に伐れない物件は残留木を傷つけて余計に森を壊す。ビビらずバランスがとれる調査員が必要となる。
キャリアではなく役職で森がつくられている。人間社会では通用するかもしれないが自然界では無理だろう。森は社会経済の枠の中に治まらないだろう。自然の森は人以前にあったのだから。
森の生活「造材・ゴミ」〜森林プロデューサー山中慎一朗
林業の仕事に就いて最初に驚いたのはゴミの投げ捨てだ。作業員はもちろん職員・帳場、林野庁の職員ですら森にゴミを投げ捨てる人がいた。弁当の食べ残し・かすから空き缶・ペットボトル。使えなくなったチェーンソーのチェーン、ヤスリ、ヤッケ、地下足袋、長靴となんでも森に投げ捨てていく。集材ブルドーザーのワイーヤー、グリース、オイル缶などの大型のゴミも捨てられた。オイル交換は山に垂れ流し。山を歩いていると以前に捨てられたドラム缶なども見られる。国有林はゴミの山だ。
北海道では「捨てる」ことを「投げる」と言う。「捨てる」意識をごまかした方言のように感じる。林野庁でも少しずつゴミの投げ捨てに厳しくなり事業者の意識も改善されているようだ。まだ作業員の意識までは浸透はしていないように感じる。
今でも当たり前に捨てられているのがタバコの吸い殻だ。こればっかりは無くならないと思う。携帯灰皿を持たせても森に捨てるのだ。日常的な習慣と吸い殻の小ささから罪悪感を感じないのだろう。一生懸命に穴を掘ってまで山に捨てようとする。国有林を全面禁煙にする必要があるだろう。
林業では自分が働いているフィールドにゴミを捨てると言うことは今まで当たり前にされてきたようである。そんな中に突然入ると驚いてしまうのだが、入ってしまうと否応なく慣らされてしまう。私も多くのゴミを森に捨ててきた。他人のゴミも気に留めることもなく、拾うこともなく、山にゴミを放置してきた。それが林業の当たり前だと思い知らされたのだ。
ゴミを持ち帰ろうと作業車に積んでおくと、いつの間にかそのゴミは森に捨てられているのだ。人目に付かないように車に隠しておいても帰る頃には車はきれいになっている。私が手に持っている空き缶をわざわざ森に投げてくれるのだ。通勤の道中のゴミは車から路肩に投げ捨てられる。みんながみんなそれが当たり前のように森で働いているのだ。
私がそれに慣れるのもそれほど時間はかからなかった。始めは極力、森にゴミを捨てなくてもいいように勤めたが、森にゴミを捨てる罪悪感はどんどん薄れていった。
もちろんそれで済むはずもなく、林野庁からゴミの投げ捨ての警告がされると今までゴミを投げ捨てていた事業者もゴミを拾うように指示する。作業員が捨てたゴミを拾い集めるようになったが、そのゴミは重機で穴を掘って埋めてしまうのだ。今まで目に付いていたものを見えなくしただけである。結局ゴミは森に捨てられたのだ。今でもこのようなことが森の現場でされているのかもしれない。
森にゴミを投げ捨ててきた罪悪感は一生消えないだろう。そのうちバチも当たるだろう。林業を離れてからは森にゴミを捨てなくても良くなった。他人が捨てるゴミを拾う必要もなくなった。周りの人は誰も森にゴミを投げ捨てない。それは救いだ。いつか罪滅ぼしに森のゴミを拾うバランティア活動ができればと思う。国有林の山土場の周りには今でもゴミが放置されているのかもしれない。
森に自分の弱さを思い知らされた。易きに流される時を過ごすと、苦しく思う時が続く。
北海道では「捨てる」ことを「投げる」と言う。「捨てる」意識をごまかした方言のように感じる。林野庁でも少しずつゴミの投げ捨てに厳しくなり事業者の意識も改善されているようだ。まだ作業員の意識までは浸透はしていないように感じる。
今でも当たり前に捨てられているのがタバコの吸い殻だ。こればっかりは無くならないと思う。携帯灰皿を持たせても森に捨てるのだ。日常的な習慣と吸い殻の小ささから罪悪感を感じないのだろう。一生懸命に穴を掘ってまで山に捨てようとする。国有林を全面禁煙にする必要があるだろう。
林業では自分が働いているフィールドにゴミを捨てると言うことは今まで当たり前にされてきたようである。そんな中に突然入ると驚いてしまうのだが、入ってしまうと否応なく慣らされてしまう。私も多くのゴミを森に捨ててきた。他人のゴミも気に留めることもなく、拾うこともなく、山にゴミを放置してきた。それが林業の当たり前だと思い知らされたのだ。
ゴミを持ち帰ろうと作業車に積んでおくと、いつの間にかそのゴミは森に捨てられているのだ。人目に付かないように車に隠しておいても帰る頃には車はきれいになっている。私が手に持っている空き缶をわざわざ森に投げてくれるのだ。通勤の道中のゴミは車から路肩に投げ捨てられる。みんながみんなそれが当たり前のように森で働いているのだ。
私がそれに慣れるのもそれほど時間はかからなかった。始めは極力、森にゴミを捨てなくてもいいように勤めたが、森にゴミを捨てる罪悪感はどんどん薄れていった。
もちろんそれで済むはずもなく、林野庁からゴミの投げ捨ての警告がされると今までゴミを投げ捨てていた事業者もゴミを拾うように指示する。作業員が捨てたゴミを拾い集めるようになったが、そのゴミは重機で穴を掘って埋めてしまうのだ。今まで目に付いていたものを見えなくしただけである。結局ゴミは森に捨てられたのだ。今でもこのようなことが森の現場でされているのかもしれない。
森にゴミを投げ捨ててきた罪悪感は一生消えないだろう。そのうちバチも当たるだろう。林業を離れてからは森にゴミを捨てなくても良くなった。他人が捨てるゴミを拾う必要もなくなった。周りの人は誰も森にゴミを投げ捨てない。それは救いだ。いつか罪滅ぼしに森のゴミを拾うバランティア活動ができればと思う。国有林の山土場の周りには今でもゴミが放置されているのかもしれない。
森に自分の弱さを思い知らされた。易きに流される時を過ごすと、苦しく思う時が続く。
森の生活「造材・山土場」〜森林プロデューサー山中慎一朗
山から集材木が搬出されてこないと、土場切り作業員とただ座って待っているのだ。土場切り作業員にはいじめられていたので話をするわけでもなく黙って森の中で待っている。これが良かったのかもしれない。慣れない仕事はきつかったが森を感じる時間があった。いろんなものを見ることが出来た。いろんな音を聞くことができた。いろんな臭いを嗅ぐことがことができた。いろんなものに触り、いろんな味を知った。自然と森の感じ方を身に付けた。周りの作業員にはいろんなことを教わった。何十年と森に中にいるのだ。とにかくいろんなことを知っている。嘘も教わったがホントも教わった。
毎日、森に通い森の時間を積み重ねる。森の初めてが毎日ある。森の時間をもらいながら給料ももらい、森を知る。林業は森の生活への近道なのかと思う。
いじめる土場切り作業員と気まずい森での時間も無駄ではなかった。人生には本当に無駄がないのだ。自分のアンテナを張っていることが必要だが。土場切り作業員との気まずさが緊張のアンテナを張らしてくれたのかもしれない。もし土場切り作業員と仲が良かったら、あーだこーだとクッチャベって森を感じることができなかっただろう。何が良くて何が悪いのかも人生ではわからない。いじめてくれてありがとうということになるのだから。なのにわかったようなことを言う大人が多い。みんな仲良くが本当に良いと信じているのだろうか?そんなことがこの世にあり得ないことに気付かないのだろうか?
森の中での生き物は生きるか死ぬかの時間が永遠に続く。厳しい自然の森の時間の中でもみんな仲良くはあり得ないのだ。みんな仲良くは生物にとって不自然な体系となる。人間社会は不自然きわまりない方向に向かおうとしている。何が良いのか悪いのか?世の中もわかっていないようである。
毎日、森に通い森の時間を積み重ねる。森の初めてが毎日ある。森の時間をもらいながら給料ももらい、森を知る。林業は森の生活への近道なのかと思う。
いじめる土場切り作業員と気まずい森での時間も無駄ではなかった。人生には本当に無駄がないのだ。自分のアンテナを張っていることが必要だが。土場切り作業員との気まずさが緊張のアンテナを張らしてくれたのかもしれない。もし土場切り作業員と仲が良かったら、あーだこーだとクッチャベって森を感じることができなかっただろう。何が良くて何が悪いのかも人生ではわからない。いじめてくれてありがとうということになるのだから。なのにわかったようなことを言う大人が多い。みんな仲良くが本当に良いと信じているのだろうか?そんなことがこの世にあり得ないことに気付かないのだろうか?
森の中での生き物は生きるか死ぬかの時間が永遠に続く。厳しい自然の森の時間の中でもみんな仲良くはあり得ないのだ。みんな仲良くは生物にとって不自然な体系となる。人間社会は不自然きわまりない方向に向かおうとしている。何が良いのか悪いのか?世の中もわかっていないようである。
森の生活「造材・樹種」〜森林プロデューサー山中慎一朗
山土場に搬出される木は20種類以上の樹種があるのだと思う。数えた事がないのでハッキリしないが、まずは20種類程を覚えればそれなりの仕事にはなるかと思う。しかし、どれも同じに見える。違いが解らないのだ。森の中で木を見たわけではなく、山土場に出てくる全幹の木だ。枝も払われ葉っぱはもちろんついていない。樹種を見分ける要素は樹皮と小口だ。小口の臭いもあったがいちいち臭いなんて嗅いでられない。集材木は次々と搬出されてくる。まずは自分で見分けられるトドマツから印をつけ、先輩帳場や土場切りの作業員に樹種を確認してから印を付ける所から始まる。とにかく樹種を見分けられるようになるまでには苦労した。シコロ、シンコ、アオキ、ガンビ、アオジナ、オンコといった図鑑にも載っていないような名前で呼び合うのだ。最初はそれが木の名前なのかさえも区別がつかなかった。今では苦労して覚えた樹種は私の宝だ。樹皮だけで樹種がわかるのだから。こういった45歳はなかなか少ないと思う。それが役に立つかどうかはこれからの私の生き方次第だ。
森林セラピーの中で「違いのわかる男と女」といったメニューをつくった。この木とあの木が同じ種類の木なのかを当ててもらうのだ。葉っぱが付いていれば簡単だが、落葉した木は樹皮と樹形での判断となりなかなか難しい。
森の生活では違いがわかる事が最も大切な事だ。そして何に使えるのかを知る。名前を知らなくても生きていける。違いがわかるようになるのは見慣れる事だ。簡単な事だが時間がかかる。森の生活は長い時間が必要になる。
人生の中でも違いがわかることが大事だ。漠然と同じように眺めるのではなく、それぞれの違いが見て取れる肥えた目を身につけることだ。違いがわかれば人生のジャッジも簡単になる。
森林セラピーの中で「違いのわかる男と女」といったメニューをつくった。この木とあの木が同じ種類の木なのかを当ててもらうのだ。葉っぱが付いていれば簡単だが、落葉した木は樹皮と樹形での判断となりなかなか難しい。
森の生活では違いがわかる事が最も大切な事だ。そして何に使えるのかを知る。名前を知らなくても生きていける。違いがわかるようになるのは見慣れる事だ。簡単な事だが時間がかかる。森の生活は長い時間が必要になる。
人生の中でも違いがわかることが大事だ。漠然と同じように眺めるのではなく、それぞれの違いが見て取れる肥えた目を身につけることだ。違いがわかれば人生のジャッジも簡単になる。
森の生活「造材・帳場」〜森林プロデューサー山中慎一朗
9月の阿寒はまだ暑かった。朝晩はぐっと冷え込むが昼間には25度を超える日も続いた。最初についた仕事は造材現場での山土場の帳場だ。山から次々と搬出されてくる全幹の集材木を樹種によって決められた長さに採材して、小口の寸面を計りチョークで書き込み、野帳に受け入れる。単純な作業だがどれが何の木なのか樹種がさっぱりわからない。トドマツとアカエゾマツの違いすらおぼつかないのだ。
今ではトドマツ、カラマツ、アカエゾマツなどの人工林の造材ばかりなので、樹種がわからなくても山土場の帳場はできる。1994年にはまだまだ国有林の天然林の択伐がほとんどで、樹種がわからなかったら仕事にならない楽しい造材現場だった。
森には多くの種類の樹木がある事を知り、それらがそれぞれ最適な用途に使われているのだ。楽器、家具、フローリング、建築材、内装材、ベニヤ、魚箱、紙と。人はずっと木と生きてきた。木材を利用して、どの樹種を何に使えば良いのかを知った。これから広葉樹天然林の伐採はどんどん少なくなるだろう。使える樹種が減り、樹種がわかる人が減り、せっかく知り得た樹種別の使い道もストックしている材が無くなれば数十年のお預けになるかもしれない。数十年後にはまたろいろな樹種が成長し伐り出されてくることになるが、そのころの採材はどうなるのだろう。
何故これほどまで樹種によって採材され選別されるのか嫌でしょうがなかったが、今ではそれが森の最大の楽しみだと思う。
今ではトドマツ、カラマツ、アカエゾマツなどの人工林の造材ばかりなので、樹種がわからなくても山土場の帳場はできる。1994年にはまだまだ国有林の天然林の択伐がほとんどで、樹種がわからなかったら仕事にならない楽しい造材現場だった。
森には多くの種類の樹木がある事を知り、それらがそれぞれ最適な用途に使われているのだ。楽器、家具、フローリング、建築材、内装材、ベニヤ、魚箱、紙と。人はずっと木と生きてきた。木材を利用して、どの樹種を何に使えば良いのかを知った。これから広葉樹天然林の伐採はどんどん少なくなるだろう。使える樹種が減り、樹種がわかる人が減り、せっかく知り得た樹種別の使い道もストックしている材が無くなれば数十年のお預けになるかもしれない。数十年後にはまたろいろな樹種が成長し伐り出されてくることになるが、そのころの採材はどうなるのだろう。
何故これほどまで樹種によって採材され選別されるのか嫌でしょうがなかったが、今ではそれが森の最大の楽しみだと思う。
森の生活「始まり」〜森林プロデューサー山中慎一朗
東京のハローワークで仕事を探す所から森の生活が始まった。1994年にはバブルがはじけてU・Iターンブームでもあった。南か北か?農業か林業か?ハローワークで求人情報を見ながら決めたのが、北海道札幌に本社がある林業の技術員。正社員のサラリーマンだ。
季節雇用など正社員以外の求人は多かったが、正社員の求人は少なく、まずは年間安定した収入が期待できるサラリーマンからの挑戦だ。
求人会社に応募書類を郵送し、社長が札幌から東京に出て来た時に面接をして内定となった。道内の数カ所に営業所があるという事で、希望を聞かれ道東の阿寒を第一希望としてお願いした。
希望通り阿寒営業所での雇用が決まり、新築のマンションを社宅として借り上げて用意してもらって引っ越し代も全額を会社負担という恵まれた待遇での転職だ。転入時には社員から作業員の5名程が荷物の搬入の手伝いに来た。会社経費の歓迎会も開いてもらい、これが北海道の常識なのかと驚いてしまった。
「郷に入れば郷に従え」と言うが私は自分のスタイルを未だに変えていない。つまり郷に従っていないのだ。面接での社長の言葉は「新しい人材を入れて、新しい風を起こして欲しい」との事だった。でも、私が社内で浮いていると「みんなに会わせるように」との事だ。同じ人間が真逆な事をどうして平気で言えるのかと思う程その場しのぎの人が多い。これは北海道だからというわけではなく、東京でも当たり前にあるのだろうが、東京ではあまり他人に言葉にする人が少なく、浮いていてもいなくてもそれを問題にする人が少ないからだろう。地方ではなかなかそうはいかないようだ。心配してなんとかうまくまとめようとする。世の中に馬が合う人なんてそうそういないのにみんな仲良しなのだ。仲良しの振りをしているのだ。それが地方での最も安全で楽な生き方だ。そんな生き方をしていない私は未だに地方で浮いている。
季節雇用など正社員以外の求人は多かったが、正社員の求人は少なく、まずは年間安定した収入が期待できるサラリーマンからの挑戦だ。
求人会社に応募書類を郵送し、社長が札幌から東京に出て来た時に面接をして内定となった。道内の数カ所に営業所があるという事で、希望を聞かれ道東の阿寒を第一希望としてお願いした。
希望通り阿寒営業所での雇用が決まり、新築のマンションを社宅として借り上げて用意してもらって引っ越し代も全額を会社負担という恵まれた待遇での転職だ。転入時には社員から作業員の5名程が荷物の搬入の手伝いに来た。会社経費の歓迎会も開いてもらい、これが北海道の常識なのかと驚いてしまった。
「郷に入れば郷に従え」と言うが私は自分のスタイルを未だに変えていない。つまり郷に従っていないのだ。面接での社長の言葉は「新しい人材を入れて、新しい風を起こして欲しい」との事だった。でも、私が社内で浮いていると「みんなに会わせるように」との事だ。同じ人間が真逆な事をどうして平気で言えるのかと思う程その場しのぎの人が多い。これは北海道だからというわけではなく、東京でも当たり前にあるのだろうが、東京ではあまり他人に言葉にする人が少なく、浮いていてもいなくてもそれを問題にする人が少ないからだろう。地方ではなかなかそうはいかないようだ。心配してなんとかうまくまとめようとする。世の中に馬が合う人なんてそうそういないのにみんな仲良しなのだ。仲良しの振りをしているのだ。それが地方での最も安全で楽な生き方だ。そんな生き方をしていない私は未だに地方で浮いている。
森の生活「発端」〜森林プロデューサー山中慎一朗
1992年、映像制作の仕事も6年となり慣れてくると人はいろいろと考え始める。自然の中での生活をしてみたいと思い、仲の良かったカメラマンに話をするとヘンリー・デビット・ソローの「森の生活-ウォールデン-」を紹介してもらった。ナチュラリストのバイブルという事だ。同じ頃「BE-PAL」にも紹介されていた。バイブルとまで呼ばれているのであれば読んでみようと、本屋で探したが小さな書店では置いてなかった。銀座の本屋で見つけて驚いた。文庫本で厚さ2cm以上、507ページもあるのだ。こんな本を読むのはシェークスピア以来だ。講談社学術文庫から1991年第1刷発行で佐渡谷重信訳の定価1,200円。果たして読み切れるのであろうか?と思ったが、それほど難しい文章に訳されていない感じがしたので購入する事にした。しっかりと領収書をもらい仕事の資料として経費で落とした。
読み進めるとなるほど面白い。面白くない所もあるのでなかなか読み進まない。面白い所と面白くない所がはっきりしている本だ。後半に行くほど面白くなくなってくるという厄介な本でもある。それでも1年かけてなんとか読破した。
「森の生活」の看板を掲げていながら読破していない人もいるほど最後まで読み切るのは難しい。何故私がそれほど「森の生活-ウォールデン-」にこだわったのかは、そこに森の哲学があったからだ。ソローは人が生きる意味を探し続けていた。自然の中から、森の中から答えを見つけようとしていた。これがバイブルと言われる所以なのだろう。
私も森の哲学を探しに行く事にした。
私はいろいろな本を読み映画を見てその度に感化されてきた。しかし実生活の中ではそれほど本の感化は長続きしない。ヤクザ映画を見た後に肩を揺らしてガニ股で闊歩するようなもので、すぐに自分本来の姿にもどってしまう。17年間も私の実生活に感化し続けている本も珍しいだろう。太宰治や夏目漱石のように内面的に感化し続けている本もあるが、それらは実生活の表には出てこない。
「森の生活-ウォールデン-」が何故それほど私の人生に長く感化し続けているのかを考えてみると答えは簡単なのかもしれない。素の私の姿が「森の生活-ウォールデン-」なのである。中学の時に出家して寺に入り坊さんになろうと思った。それが高校を卒業して東京に出ると、ディスコに通い酒を飲みナンパしてカラオケを歌い、海に山にと釣りやスキーと遊び回った。業界に入ってからは美味しいものを食べて高い酒を飲み、ナンパ、キャバクラ、フィリピンパブ、ソープランドとそれなりに派手な遊びもした。ほとんどが自分の金ではなく会社の経費と接待費だ。まだバブルの余波が残っていた。
そんな実生活に溺れ少し落ち着いた頃に「森の生活-ウォールデン-」に出会い、素の自分の姿に気付かせてくれただけなのかもしれない。まさか本当に森の生活ができるとは思ってはいなかったが少しずつ近づいている。今のところ無理な感じも起きていない。自分が派手好きな映像制作プロデューサーなのか、森の哲人なのか正解はわからない。おそらく両方とも自分であろう。
一つの生き方ではなく、いろんな生き方を「たった一度の人生」の中でしてみたかった。私は必然と森の哲人を選び、セカンドステージに立つことにした。素の私を探しに。
生きるとはどういう事なのかを知りたかった。ソローと全く同じ想いだ。生きるために働くのではなく、働くために生きるのではなく、生きるために生きる生活を見つけたかった。答えは森の中にあるはずだ。
読み進めるとなるほど面白い。面白くない所もあるのでなかなか読み進まない。面白い所と面白くない所がはっきりしている本だ。後半に行くほど面白くなくなってくるという厄介な本でもある。それでも1年かけてなんとか読破した。
「森の生活」の看板を掲げていながら読破していない人もいるほど最後まで読み切るのは難しい。何故私がそれほど「森の生活-ウォールデン-」にこだわったのかは、そこに森の哲学があったからだ。ソローは人が生きる意味を探し続けていた。自然の中から、森の中から答えを見つけようとしていた。これがバイブルと言われる所以なのだろう。
私も森の哲学を探しに行く事にした。
私はいろいろな本を読み映画を見てその度に感化されてきた。しかし実生活の中ではそれほど本の感化は長続きしない。ヤクザ映画を見た後に肩を揺らしてガニ股で闊歩するようなもので、すぐに自分本来の姿にもどってしまう。17年間も私の実生活に感化し続けている本も珍しいだろう。太宰治や夏目漱石のように内面的に感化し続けている本もあるが、それらは実生活の表には出てこない。
「森の生活-ウォールデン-」が何故それほど私の人生に長く感化し続けているのかを考えてみると答えは簡単なのかもしれない。素の私の姿が「森の生活-ウォールデン-」なのである。中学の時に出家して寺に入り坊さんになろうと思った。それが高校を卒業して東京に出ると、ディスコに通い酒を飲みナンパしてカラオケを歌い、海に山にと釣りやスキーと遊び回った。業界に入ってからは美味しいものを食べて高い酒を飲み、ナンパ、キャバクラ、フィリピンパブ、ソープランドとそれなりに派手な遊びもした。ほとんどが自分の金ではなく会社の経費と接待費だ。まだバブルの余波が残っていた。
そんな実生活に溺れ少し落ち着いた頃に「森の生活-ウォールデン-」に出会い、素の自分の姿に気付かせてくれただけなのかもしれない。まさか本当に森の生活ができるとは思ってはいなかったが少しずつ近づいている。今のところ無理な感じも起きていない。自分が派手好きな映像制作プロデューサーなのか、森の哲人なのか正解はわからない。おそらく両方とも自分であろう。
一つの生き方ではなく、いろんな生き方を「たった一度の人生」の中でしてみたかった。私は必然と森の哲人を選び、セカンドステージに立つことにした。素の私を探しに。
生きるとはどういう事なのかを知りたかった。ソローと全く同じ想いだ。生きるために働くのではなく、働くために生きるのではなく、生きるために生きる生活を見つけたかった。答えは森の中にあるはずだ。
2009年8月15日土曜日
森の生活 〜 森林プロデューサー山中慎一朗
私は森に哲学を探しに来た。ヘンリー・デビット・ソローの「森の生活 -ウォールデン-」を読破し、森の中には哲学があると信じて、森を知るための仕事を探した。それが林業だっただけだ。林業を知りたいのではなく、森の哲学を知りたかった。もちろん林業の多くを知る事にもなったが。
最後は森林セラピーという森の最先端の活用にまで係る事になった。
15年間の森の生活の中で、森の哲学の多くを感じることができた。私の人生の全てを変える程の哲学だ。しかし、真新しいものではない。ソローにも通じるし、同じ事に気付いている人がいる事も確かだ。微妙な所での細部は新鮮かと思う。
私がこの世の中に一人しかいない以上、これからここに書かれる事と全く同じ事を書く人はひとりもいない。それが森の哲学だと思う。
発端
1992年、映像制作の仕事も6年となり慣れてくると人はいろいろと考え始める。自然の中での生活をしてみたいと思い、仲の良かったカメラマンに話をするとヘンリー・デビット・ソローの「森の生活-ウォールデン-」を紹介してもらった。ナチュラリストのバイブルという事だ。同じ頃「BE-PAL」にも紹介されていた。バイブルとまで呼ばれているのであれば読んでみようと、本屋で探したが小さな書店では置いてなかった。銀座の本屋で見つけて驚いた。文庫本で厚さ2cm以上、507ページもあるのだ。こんな本を読むのはシェークスピア以来だ。講談社学術文庫から1991年第1刷発行で佐渡谷重信訳の定価1,200円。果たして読み切れるのであろうか?と思ったが、それほど難しい文章に訳されていない感じがしたので購入する事にした。しっかりと領収書をもらい仕事の資料として経費で落とした。
読み進めるとなるほど面白い。面白くない所もあるのでなかなか読み進まない。面白い所と面白くない所がはっきりしている本だ。後半に行くほど面白くなくなってくるという厄介な本でもある。それでも1年かけてなんとか読破した。
「森の生活」の看板を掲げていながら読破していない人もいるほど最後まで読み切るのは難しい。何故私がそれほど「森の生活-ウォールデン-」にこだわったのかは、そこに森の哲学があったからだ。ソローは人が生きる意味を探し続けていた。自然の中から、森の中から答えを見つけようとしていた。これがバイブルと言われる所以なのだろう。
私も森の哲学を探しに行く事にした。
私はいろいろな本を読み映画を見てその度に感化されてきた。しかし実生活の中ではそれほど本の感化は長続きしない。ヤクザ映画を見た後に肩を揺らしてガニ股で闊歩するようなもので、すぐに自分本来の姿にもどってしまう。17年間も私の実生活に感化し続けている本も珍しいだろう。太宰治や夏目漱石のように内面的に感化し続けている本もあるが、それらは実生活の表には出てこない。
「森の生活-ウォールデン-」が何故それほど私の人生に長く感化し続けているのかを考えてみると答えは簡単なのかもしれない。素の私の姿が「森の生活-ウォールデン-」なのである。中学の時に出家して寺に入り坊さんになろうと思った。それが高校を卒業して東京に出ると、ディスコに通い酒を飲みナンパしてカラオケを歌い、海に山にと釣りやスキーと遊び回った。業界に入ってからは美味しいものを食べて高い酒を飲み、ナンパ、キャバクラ、フィリピンパブ、ソープランドとそれなりに派手な遊びもした。ほとんどが自分の金ではなく会社の経費と接待費だ。まだバブルの余波が残っていた。
そんな実生活に溺れ少し落ち着いた頃に「森の生活-ウォールデン-」に出会い、素の自分の姿に気付かせてくれただけなのかもしれない。まさか本当に森の生活ができるとは思ってはいなかったが少しずつ近づいている。今のところ無理な感じも起きていない。自分が派手好きな映像制作プロデューサーなのか、森の哲人なのか正解はわからない。おそらく両方とも自分であろう。
一つの生き方ではなく、いろんな生き方を「たった一度の人生」の中でしてみたかった。私は必然と森の哲人を選び、セカンドステージに立つことにした。素の私を探しに。
生きるとはどういう事なのかを知りたかった。ソローと全く同じ想いだ。生きるために働くのではなく、働くために生きるのではなく、生きるために生きる生活を見つけたかった。答えは森の中にあるはずだ。
始まり
東京のハローワークで仕事を探す所から森の生活が始まった。1994年にはバブルがはじけてU・Iターンブームでもあった。南か北か?農業か林業か?ハローワークで求人情報を見ながら決めたのが、北海道札幌に本社がある林業の技術員。正社員のサラリーマンだ。
季節雇用など正社員以外の求人は多かったが、正社員の求人は少なく、まずは年間安定した収入が期待できるサラリーマンからの挑戦だ。
求人会社に応募書類を郵送し、社長が札幌から東京に出て来た時に面接をして内定となった。道内の数カ所に営業所があるという事で、希望を聞かれ道東の阿寒を第一希望としてお願いした。
希望通り阿寒営業所での雇用が決まり、新築のマンションを社宅として借り上げて用意してもらって引っ越し代も全額を会社負担という恵まれた待遇での転職だ。転入時には社員から作業員の5名程が荷物の搬入の手伝いに来た。会社経費の歓迎会も開いてもらい、これが北海道の常識なのかと驚いてしまった。
「郷に入れば郷に従え」と言うが私は自分のスタイルを未だに変えていない。つまり郷に従っていないのだ。面接での社長の言葉は「新しい人材を入れて、新しい風を起こして欲しい」との事だった。でも、私が社内で浮いていると「みんなに会わせるように」との事だ。同じ人間が真逆な事をどうして平気で言えるのかと思う程その場しのぎの人が多い。これは北海道だからというわけではなく、東京でも当たり前にあるのだろうが、東京ではあまり他人に言葉にする人が少なく、浮いていてもいなくてもそれを問題にする人が少ないからだろう。地方ではなかなかそうはいかないようだ。心配してなんとかうまくまとめようとする。世の中に馬が合う人なんてそうそういないのにみんな仲良しなのだ。仲良しの振りをしているのだ。それが地方での最も安全で楽な生き方だ。そんな生き方をしていない私は未だに地方で浮いている。
造材
山に立っている木を買って山から木を伐り出し、丸太にして原木を売ってお金に換える。山の立木を切り出し原木にするまでの作業を請け負う。木をお金にするための商売だ。
1996年ごろ中国の内モンゴルにポプラの木を植えにいった時に鳥取大学の教授に「私は北海道で造材作業をしている」と言ったら「山荒し」と言われた。京都議定書のおかげで少しずつ造材も「山荒し」のイメージから「森づくり」に移行しているように感じる。
何のことはない荒らす山がなくなっただけなのかもしれない。天然林施行がなくなり人工林施行となればイメージはガラッと変わる。「健康な森を維持するためには手入れが必要」とメディアも取り上げる。
2009年の森林環境ツアーの中で「木を伐っても良いか?悪いか?」を聞くと参加者全員が「伐っても良い」と答えた日があった。世も末である。「山荒し」と呼ばれた頃が懐かしい。
帳場
9月の阿寒はまだ暑かった。朝晩はぐっと冷え込むが昼間には25度を超える日も続いた。最初についた仕事は造材現場での山土場の帳場だ。山から次々と搬出されてくる全幹の集材木を樹種によって決められた長さに採材して、小口の寸面を計りチョークで書き込み、野帳に受け入れる。単純な作業だがどれが何の木なのか樹種がさっぱりわからない。トドマツとアカエゾマツの違いすらおぼつかないのだ。
今ではトドマツ、カラマツ、アカエゾマツなどの人工林の造材ばかりなので、樹種がわからなくても山土場の帳場はできる。1994年にはまだまだ国有林の天然林の択伐がほとんどで、樹種がわからなかったら仕事にならない楽しい造材現場だった。
森には多くの種類の樹木がある事を知り、それらがそれぞれ最適な用途に使われているのだ。楽器、家具、フローリング、建築材、内装材、ベニヤ、魚箱、紙と。人はずっと木と生きてきた。木材を利用して、どの樹種を何に使えば良いのかを知った。これから広葉樹天然林の伐採はどんどん少なくなるだろう。使える樹種が減り、樹種がわかる人が減り、せっかく知り得た樹種別の使い道もストックしている材が無くなれば数十年のお預けになるかもしれない。数十年後にはまたろいろな樹種が成長し伐り出されてくることになるが、そのころの採材はどうなるのだろう。
何故これほどまで樹種によって採材され選別されるのか嫌でしょうがなかったが、今ではそれが森の最大の楽しみだと思う。
樹種
山土場に搬出される木は20種類以上の樹種があるのだと思う。数えた事がないのでハッキリしないが、まずは20種類程を覚えればそれなりの仕事にはなるかと思う。しかし、どれも同じに見える。違いが解らないのだ。森の中で木を見たわけではなく、山土場に出てくる全幹の木だ。枝も払われ葉っぱはもちろんついていない。樹種を見分ける要素は樹皮と小口だ。小口の臭いもあったがいちいち臭いなんて嗅いでられない。集材木は次々と搬出されてくる。まずは自分で見分けられるトドマツから印をつけ、先輩帳場や土場切りの作業員に樹種を確認してから印を付ける所から始まる。とにかく樹種を見分けられるようになるまでには苦労した。シコロ、シンコ、アオキ、ガンビ、アオジナ、オンコといった図鑑にも載っていないような名前で呼び合うのだ。最初はそれが木の名前なのかさえも区別がつかなかった。今では苦労して覚えた樹種は私の宝だ。樹皮だけで樹種がわかるのだから。こういった45歳はなかなか少ないと思う。それが役に立つかどうかはこれからの私の生き方次第だ。
森林セラピーの中で「違いのわかる男と女」といったメニューをつくった。この木とあの木が同じ種類の木なのかを当ててもらうのだ。葉っぱが付いていれば簡単だが、落葉した木は樹皮と樹形での判断となりなかなか難しい。
森の生活では違いがわかる事が最も大切な事だ。そして何に使えるのかを知る。名前を知らなくても生きていける。違いがわかるようになるのは見慣れる事だ。簡単な事だが時間がかかる。森の生活は長い時間が必要になる。
人生の中でも違いがわかることが大事だ。漠然と同じように眺めるのではなく、それぞれの違いが見て取れる肥えた目を身につけることだ。違いがわかれば人生のジャッジも簡単になる。
山土場
山から集材木が搬出されてこないと、土場切り作業員とただ座って待っているのだ。土場切り作業員にはいじめられていたので話をするわけでもなく黙って森の中で待っている。これが良かったのかもしれない。慣れない仕事はきつかったが森を感じる時間があった。いろんなものを見ることが出来た。いろんな音を聞くことができた。いろんな臭いを嗅ぐことがことができた。いろんなものに触り、いろんな味を知った。自然と森の感じ方を身に付けた。周りの作業員にはいろんなことを教わった。何十年と森に中にいるのだ。とにかくいろんなことを知っている。嘘も教わったがホントも教わった。
毎日、森に通い森の時間を積み重ねる。森の初めてが毎日ある。森の時間をもらいながら給料ももらい、森を知る。林業は森の生活への近道なのかと思う。
いじめる土場切り作業員と気まずい森での時間も無駄ではなかった。人生には本当に無駄がないのだ。自分のアンテナを張っていることが必要だが。土場切り作業員との気まずさが緊張のアンテナを張らしてくれたのかもしれない。もし土場切り作業員と仲が良かったら、あーだこーだとクッチャベって森を感じることができなかっただろう。何が良くて何が悪いのかも人生ではわからない。いじめてくれてありがとうということになるのだから。なのにわかったようなことを言う大人が多い。みんな仲良くが本当に良いと信じているのだろうか?そんなことがこの世にあり得ないことに気付かないのだろうか?
森の中での生き物は生きるか死ぬかの時間が永遠に続く。厳しい自然の森の時間の中でもみんな仲良くはあり得ないのだ。みんな仲良くは生物にとって不自然な体系となる。人間社会は不自然きわまりない方向に向かおうとしている。何が良いのか悪いのか?世の中もわかっていないようである。
ゴミ
林業の仕事に就いて最初に驚いたのはゴミの投げ捨てだ。作業員はもちろん職員・帳場、林野庁の職員ですら森にゴミを投げ捨てる人がいた。弁当の食べ残し・かすから空き缶・ペットボトル。使えなくなったチェーンソーのチェーン、ヤスリ、ヤッケ、地下足袋、長靴となんでも森に投げ捨てていく。集材ブルドーザーのワイーヤー、グリース、オイル缶などの大型のゴミも捨てられた。オイル交換は山に垂れ流し。山を歩いていると以前に捨てられたドラム缶なども見られる。国有林はゴミの山だ。
北海道では「捨てる」ことを「投げる」と言う。「捨てる」意識をごまかした方言のように感じる。林野庁でも少しずつゴミの投げ捨てに厳しくなり事業者の意識も改善されているようだ。まだ作業員の意識までは浸透はしていないように感じる。
今でも当たり前に捨てられているのがタバコの吸い殻だ。こればっかりは無くならないと思う。携帯灰皿を持たせても森に捨てるのだ。日常的な習慣と吸い殻の小ささから罪悪感を感じないのだろう。一生懸命に穴を掘ってまで山に捨てようとする。国有林を全面禁煙にする必要があるだろう。
林業では自分が働いているフィールドにゴミを捨てると言うことは今まで当たり前にされてきたようである。そんな中に突然入ると驚いてしまうのだが、入ってしまうと否応なく慣らされてしまう。私も多くのゴミを森に捨ててきた。他人のゴミも気に留めることもなく、拾うこともなく、山にゴミを放置してきた。それが林業の当たり前だと思い知らされたのだ。
ゴミを持ち帰ろうと作業車に積んでおくと、いつの間にかそのゴミは森に捨てられているのだ。人目に付かないように車に隠しておいても帰る頃には車はきれいになっている。私が手に持っている空き缶をわざわざ森に投げてくれるのだ。通勤の道中のゴミは車から路肩に投げ捨てられる。みんながみんなそれが当たり前のように森で働いているのだ。
私がそれに慣れるのもそれほど時間はかからなかった。始めは極力、森にゴミを捨てなくてもいいように勤めたが、森にゴミを捨てる罪悪感はどんどん薄れていった。
もちろんそれで済むはずもなく、林野庁からゴミの投げ捨ての警告がされると今までゴミを投げ捨てていた事業者もゴミを拾うように指示する。作業員が捨てたゴミを拾い集めるようになったが、そのゴミは重機で穴を掘って埋めてしまうのだ。今まで目に付いていたものを見えなくしただけである。結局ゴミは森に捨てられたのだ。今でもこのようなことが森の現場でされているのかもしれない。
森にゴミを投げ捨ててきた罪悪感は一生消えないだろう。そのうちバチも当たるだろう。林業を離れてからは森にゴミを捨てなくても良くなった。他人が捨てるゴミを拾う必要もなくなった。周りの人は誰も森にゴミを投げ捨てない。それは救いだ。いつか罪滅ぼしに森のゴミを拾うバランティア活動ができればと思う。国有林の山土場の周りには今でもゴミが放置されているのかもしれない。
森に自分の弱さを思い知らされた。易きに流される時を過ごすと、苦しく思う時が続く。
盗伐
山子(杣夫・きこり)が山に入り指定された立木を伐倒する。国有林では伐る木の印としてナンバーテープを胸の高さにガンタッカでとめられ刻印が打たれる。根元にも刻印を打つ場合もある。契約の形態に違って立木の印は異なる。
盗伐とは契約とは違う印のされていない木を伐って盗むことである。1997年に「やまりん」の盗伐が指摘され大きな波紋を広げた。それ以前に印のない木を山子が伐っているのを知っていた。「代替え」と呼んでいた。
根元に刻印のある木は代替えはできない。伐っても根元の刻印が残るからだ。これは立木販売契約のように林野庁が指定した立木を売る時なのだが、全ての契約で根元の刻印が徹底されていたのかというとそうでもなかったような記憶がある。奥の山に良い木があると黙って伐ってしまう。森林官と相談して支障木として伐ってしまうなどいろいろな手法で木は伐られていった。詳細はもう記憶にない。今さらこれらを立証することは不可能だろう。
根元に刻印のない契約の代替えは簡単だ。人工林の定性間伐などは根元の刻印がなかった。胸の位置のナンバーテープをマイナスドライバーで外し近くにあるより良い木を伐るのだ。作業員いわく「盗んだのではなくより山に良い木を替わりに伐った。山は良くなる」とのことだ。もちろん林野庁の立木調査が完璧かと言うとそうではない。ビビってると言った感じがした。せっかく伐採に入るのに販売木の割り合いが少なく感じていた。30%ほどなのであろうか?伐倒木の割り合いが少ないと残される木の多くが伐倒支障や集材などで傷つけられる。残した意味があればと思う。
「やまりん」は代替え以上の木に手を出したて盗伐となったのだろう。私の勤めていた会社も盗伐が明らかになり林野長の契約ができなくなった。盗伐は私が担当した現場ではなかったが、担当した現場が盗伐となってもおかしくない状況だったと思う。造材責任者は国有林への立入りができなくなった。直接に盗伐とは関係がなかったが問題があったことは確かだ。
森の素晴らしさは、ほとんど人目に付かないことである。林業にも言える。建築・土木ほど人目に付くことはない。山子は一人で自分の採面を伐る。ブルドーザーは一人で山子の後を追い集材する。山土場に出てきて集材木は初めて複数の人の目にさらされる。山土場での集材木が調査木なのか盗伐木なのか代替え木なのか確認されることはない。それが造材現場だと教えてくれて目の前で代替えの意味を教えてくれたた山子がいたから私はここに書ける。山子が見る林野庁の調査の不具合も教えてくれた。森づくりは人それぞれである。
30年以上森で木を見てきた山子が勝手に調査木を代替えする。調査したのは北海道に来て数年の若い林野庁職員なのかもしれない。ビビってる調査物件を見ると感じてしまう。伐る時に伐れない物件は残留木を傷つけて余計に森を壊す。ビビらずバランスがとれる調査員が必要となる。
キャリアではなく役職で森がつくられている。人間社会では通用するかもしれないが自然界では無理だろう。森は社会経済の枠の中に治まらないだろう。自然の森は人以前にあったのだから。
森を知るには森の時間を積み重ねることだと思う。そして樹種も山菜もキノコもそれらを必要としないと覚えられない。大人は仕事と生活で必要なこと意外は覚えられないのである。
最後は森林セラピーという森の最先端の活用にまで係る事になった。
15年間の森の生活の中で、森の哲学の多くを感じることができた。私の人生の全てを変える程の哲学だ。しかし、真新しいものではない。ソローにも通じるし、同じ事に気付いている人がいる事も確かだ。微妙な所での細部は新鮮かと思う。
私がこの世の中に一人しかいない以上、これからここに書かれる事と全く同じ事を書く人はひとりもいない。それが森の哲学だと思う。
発端
1992年、映像制作の仕事も6年となり慣れてくると人はいろいろと考え始める。自然の中での生活をしてみたいと思い、仲の良かったカメラマンに話をするとヘンリー・デビット・ソローの「森の生活-ウォールデン-」を紹介してもらった。ナチュラリストのバイブルという事だ。同じ頃「BE-PAL」にも紹介されていた。バイブルとまで呼ばれているのであれば読んでみようと、本屋で探したが小さな書店では置いてなかった。銀座の本屋で見つけて驚いた。文庫本で厚さ2cm以上、507ページもあるのだ。こんな本を読むのはシェークスピア以来だ。講談社学術文庫から1991年第1刷発行で佐渡谷重信訳の定価1,200円。果たして読み切れるのであろうか?と思ったが、それほど難しい文章に訳されていない感じがしたので購入する事にした。しっかりと領収書をもらい仕事の資料として経費で落とした。
読み進めるとなるほど面白い。面白くない所もあるのでなかなか読み進まない。面白い所と面白くない所がはっきりしている本だ。後半に行くほど面白くなくなってくるという厄介な本でもある。それでも1年かけてなんとか読破した。
「森の生活」の看板を掲げていながら読破していない人もいるほど最後まで読み切るのは難しい。何故私がそれほど「森の生活-ウォールデン-」にこだわったのかは、そこに森の哲学があったからだ。ソローは人が生きる意味を探し続けていた。自然の中から、森の中から答えを見つけようとしていた。これがバイブルと言われる所以なのだろう。
私も森の哲学を探しに行く事にした。
私はいろいろな本を読み映画を見てその度に感化されてきた。しかし実生活の中ではそれほど本の感化は長続きしない。ヤクザ映画を見た後に肩を揺らしてガニ股で闊歩するようなもので、すぐに自分本来の姿にもどってしまう。17年間も私の実生活に感化し続けている本も珍しいだろう。太宰治や夏目漱石のように内面的に感化し続けている本もあるが、それらは実生活の表には出てこない。
「森の生活-ウォールデン-」が何故それほど私の人生に長く感化し続けているのかを考えてみると答えは簡単なのかもしれない。素の私の姿が「森の生活-ウォールデン-」なのである。中学の時に出家して寺に入り坊さんになろうと思った。それが高校を卒業して東京に出ると、ディスコに通い酒を飲みナンパしてカラオケを歌い、海に山にと釣りやスキーと遊び回った。業界に入ってからは美味しいものを食べて高い酒を飲み、ナンパ、キャバクラ、フィリピンパブ、ソープランドとそれなりに派手な遊びもした。ほとんどが自分の金ではなく会社の経費と接待費だ。まだバブルの余波が残っていた。
そんな実生活に溺れ少し落ち着いた頃に「森の生活-ウォールデン-」に出会い、素の自分の姿に気付かせてくれただけなのかもしれない。まさか本当に森の生活ができるとは思ってはいなかったが少しずつ近づいている。今のところ無理な感じも起きていない。自分が派手好きな映像制作プロデューサーなのか、森の哲人なのか正解はわからない。おそらく両方とも自分であろう。
一つの生き方ではなく、いろんな生き方を「たった一度の人生」の中でしてみたかった。私は必然と森の哲人を選び、セカンドステージに立つことにした。素の私を探しに。
生きるとはどういう事なのかを知りたかった。ソローと全く同じ想いだ。生きるために働くのではなく、働くために生きるのではなく、生きるために生きる生活を見つけたかった。答えは森の中にあるはずだ。
始まり
東京のハローワークで仕事を探す所から森の生活が始まった。1994年にはバブルがはじけてU・Iターンブームでもあった。南か北か?農業か林業か?ハローワークで求人情報を見ながら決めたのが、北海道札幌に本社がある林業の技術員。正社員のサラリーマンだ。
季節雇用など正社員以外の求人は多かったが、正社員の求人は少なく、まずは年間安定した収入が期待できるサラリーマンからの挑戦だ。
求人会社に応募書類を郵送し、社長が札幌から東京に出て来た時に面接をして内定となった。道内の数カ所に営業所があるという事で、希望を聞かれ道東の阿寒を第一希望としてお願いした。
希望通り阿寒営業所での雇用が決まり、新築のマンションを社宅として借り上げて用意してもらって引っ越し代も全額を会社負担という恵まれた待遇での転職だ。転入時には社員から作業員の5名程が荷物の搬入の手伝いに来た。会社経費の歓迎会も開いてもらい、これが北海道の常識なのかと驚いてしまった。
「郷に入れば郷に従え」と言うが私は自分のスタイルを未だに変えていない。つまり郷に従っていないのだ。面接での社長の言葉は「新しい人材を入れて、新しい風を起こして欲しい」との事だった。でも、私が社内で浮いていると「みんなに会わせるように」との事だ。同じ人間が真逆な事をどうして平気で言えるのかと思う程その場しのぎの人が多い。これは北海道だからというわけではなく、東京でも当たり前にあるのだろうが、東京ではあまり他人に言葉にする人が少なく、浮いていてもいなくてもそれを問題にする人が少ないからだろう。地方ではなかなかそうはいかないようだ。心配してなんとかうまくまとめようとする。世の中に馬が合う人なんてそうそういないのにみんな仲良しなのだ。仲良しの振りをしているのだ。それが地方での最も安全で楽な生き方だ。そんな生き方をしていない私は未だに地方で浮いている。
造材
山に立っている木を買って山から木を伐り出し、丸太にして原木を売ってお金に換える。山の立木を切り出し原木にするまでの作業を請け負う。木をお金にするための商売だ。
1996年ごろ中国の内モンゴルにポプラの木を植えにいった時に鳥取大学の教授に「私は北海道で造材作業をしている」と言ったら「山荒し」と言われた。京都議定書のおかげで少しずつ造材も「山荒し」のイメージから「森づくり」に移行しているように感じる。
何のことはない荒らす山がなくなっただけなのかもしれない。天然林施行がなくなり人工林施行となればイメージはガラッと変わる。「健康な森を維持するためには手入れが必要」とメディアも取り上げる。
2009年の森林環境ツアーの中で「木を伐っても良いか?悪いか?」を聞くと参加者全員が「伐っても良い」と答えた日があった。世も末である。「山荒し」と呼ばれた頃が懐かしい。
帳場
9月の阿寒はまだ暑かった。朝晩はぐっと冷え込むが昼間には25度を超える日も続いた。最初についた仕事は造材現場での山土場の帳場だ。山から次々と搬出されてくる全幹の集材木を樹種によって決められた長さに採材して、小口の寸面を計りチョークで書き込み、野帳に受け入れる。単純な作業だがどれが何の木なのか樹種がさっぱりわからない。トドマツとアカエゾマツの違いすらおぼつかないのだ。
今ではトドマツ、カラマツ、アカエゾマツなどの人工林の造材ばかりなので、樹種がわからなくても山土場の帳場はできる。1994年にはまだまだ国有林の天然林の択伐がほとんどで、樹種がわからなかったら仕事にならない楽しい造材現場だった。
森には多くの種類の樹木がある事を知り、それらがそれぞれ最適な用途に使われているのだ。楽器、家具、フローリング、建築材、内装材、ベニヤ、魚箱、紙と。人はずっと木と生きてきた。木材を利用して、どの樹種を何に使えば良いのかを知った。これから広葉樹天然林の伐採はどんどん少なくなるだろう。使える樹種が減り、樹種がわかる人が減り、せっかく知り得た樹種別の使い道もストックしている材が無くなれば数十年のお預けになるかもしれない。数十年後にはまたろいろな樹種が成長し伐り出されてくることになるが、そのころの採材はどうなるのだろう。
何故これほどまで樹種によって採材され選別されるのか嫌でしょうがなかったが、今ではそれが森の最大の楽しみだと思う。
樹種
山土場に搬出される木は20種類以上の樹種があるのだと思う。数えた事がないのでハッキリしないが、まずは20種類程を覚えればそれなりの仕事にはなるかと思う。しかし、どれも同じに見える。違いが解らないのだ。森の中で木を見たわけではなく、山土場に出てくる全幹の木だ。枝も払われ葉っぱはもちろんついていない。樹種を見分ける要素は樹皮と小口だ。小口の臭いもあったがいちいち臭いなんて嗅いでられない。集材木は次々と搬出されてくる。まずは自分で見分けられるトドマツから印をつけ、先輩帳場や土場切りの作業員に樹種を確認してから印を付ける所から始まる。とにかく樹種を見分けられるようになるまでには苦労した。シコロ、シンコ、アオキ、ガンビ、アオジナ、オンコといった図鑑にも載っていないような名前で呼び合うのだ。最初はそれが木の名前なのかさえも区別がつかなかった。今では苦労して覚えた樹種は私の宝だ。樹皮だけで樹種がわかるのだから。こういった45歳はなかなか少ないと思う。それが役に立つかどうかはこれからの私の生き方次第だ。
森林セラピーの中で「違いのわかる男と女」といったメニューをつくった。この木とあの木が同じ種類の木なのかを当ててもらうのだ。葉っぱが付いていれば簡単だが、落葉した木は樹皮と樹形での判断となりなかなか難しい。
森の生活では違いがわかる事が最も大切な事だ。そして何に使えるのかを知る。名前を知らなくても生きていける。違いがわかるようになるのは見慣れる事だ。簡単な事だが時間がかかる。森の生活は長い時間が必要になる。
人生の中でも違いがわかることが大事だ。漠然と同じように眺めるのではなく、それぞれの違いが見て取れる肥えた目を身につけることだ。違いがわかれば人生のジャッジも簡単になる。
山土場
山から集材木が搬出されてこないと、土場切り作業員とただ座って待っているのだ。土場切り作業員にはいじめられていたので話をするわけでもなく黙って森の中で待っている。これが良かったのかもしれない。慣れない仕事はきつかったが森を感じる時間があった。いろんなものを見ることが出来た。いろんな音を聞くことができた。いろんな臭いを嗅ぐことがことができた。いろんなものに触り、いろんな味を知った。自然と森の感じ方を身に付けた。周りの作業員にはいろんなことを教わった。何十年と森に中にいるのだ。とにかくいろんなことを知っている。嘘も教わったがホントも教わった。
毎日、森に通い森の時間を積み重ねる。森の初めてが毎日ある。森の時間をもらいながら給料ももらい、森を知る。林業は森の生活への近道なのかと思う。
いじめる土場切り作業員と気まずい森での時間も無駄ではなかった。人生には本当に無駄がないのだ。自分のアンテナを張っていることが必要だが。土場切り作業員との気まずさが緊張のアンテナを張らしてくれたのかもしれない。もし土場切り作業員と仲が良かったら、あーだこーだとクッチャベって森を感じることができなかっただろう。何が良くて何が悪いのかも人生ではわからない。いじめてくれてありがとうということになるのだから。なのにわかったようなことを言う大人が多い。みんな仲良くが本当に良いと信じているのだろうか?そんなことがこの世にあり得ないことに気付かないのだろうか?
森の中での生き物は生きるか死ぬかの時間が永遠に続く。厳しい自然の森の時間の中でもみんな仲良くはあり得ないのだ。みんな仲良くは生物にとって不自然な体系となる。人間社会は不自然きわまりない方向に向かおうとしている。何が良いのか悪いのか?世の中もわかっていないようである。
ゴミ
林業の仕事に就いて最初に驚いたのはゴミの投げ捨てだ。作業員はもちろん職員・帳場、林野庁の職員ですら森にゴミを投げ捨てる人がいた。弁当の食べ残し・かすから空き缶・ペットボトル。使えなくなったチェーンソーのチェーン、ヤスリ、ヤッケ、地下足袋、長靴となんでも森に投げ捨てていく。集材ブルドーザーのワイーヤー、グリース、オイル缶などの大型のゴミも捨てられた。オイル交換は山に垂れ流し。山を歩いていると以前に捨てられたドラム缶なども見られる。国有林はゴミの山だ。
北海道では「捨てる」ことを「投げる」と言う。「捨てる」意識をごまかした方言のように感じる。林野庁でも少しずつゴミの投げ捨てに厳しくなり事業者の意識も改善されているようだ。まだ作業員の意識までは浸透はしていないように感じる。
今でも当たり前に捨てられているのがタバコの吸い殻だ。こればっかりは無くならないと思う。携帯灰皿を持たせても森に捨てるのだ。日常的な習慣と吸い殻の小ささから罪悪感を感じないのだろう。一生懸命に穴を掘ってまで山に捨てようとする。国有林を全面禁煙にする必要があるだろう。
林業では自分が働いているフィールドにゴミを捨てると言うことは今まで当たり前にされてきたようである。そんな中に突然入ると驚いてしまうのだが、入ってしまうと否応なく慣らされてしまう。私も多くのゴミを森に捨ててきた。他人のゴミも気に留めることもなく、拾うこともなく、山にゴミを放置してきた。それが林業の当たり前だと思い知らされたのだ。
ゴミを持ち帰ろうと作業車に積んでおくと、いつの間にかそのゴミは森に捨てられているのだ。人目に付かないように車に隠しておいても帰る頃には車はきれいになっている。私が手に持っている空き缶をわざわざ森に投げてくれるのだ。通勤の道中のゴミは車から路肩に投げ捨てられる。みんながみんなそれが当たり前のように森で働いているのだ。
私がそれに慣れるのもそれほど時間はかからなかった。始めは極力、森にゴミを捨てなくてもいいように勤めたが、森にゴミを捨てる罪悪感はどんどん薄れていった。
もちろんそれで済むはずもなく、林野庁からゴミの投げ捨ての警告がされると今までゴミを投げ捨てていた事業者もゴミを拾うように指示する。作業員が捨てたゴミを拾い集めるようになったが、そのゴミは重機で穴を掘って埋めてしまうのだ。今まで目に付いていたものを見えなくしただけである。結局ゴミは森に捨てられたのだ。今でもこのようなことが森の現場でされているのかもしれない。
森にゴミを投げ捨ててきた罪悪感は一生消えないだろう。そのうちバチも当たるだろう。林業を離れてからは森にゴミを捨てなくても良くなった。他人が捨てるゴミを拾う必要もなくなった。周りの人は誰も森にゴミを投げ捨てない。それは救いだ。いつか罪滅ぼしに森のゴミを拾うバランティア活動ができればと思う。国有林の山土場の周りには今でもゴミが放置されているのかもしれない。
森に自分の弱さを思い知らされた。易きに流される時を過ごすと、苦しく思う時が続く。
盗伐
山子(杣夫・きこり)が山に入り指定された立木を伐倒する。国有林では伐る木の印としてナンバーテープを胸の高さにガンタッカでとめられ刻印が打たれる。根元にも刻印を打つ場合もある。契約の形態に違って立木の印は異なる。
盗伐とは契約とは違う印のされていない木を伐って盗むことである。1997年に「やまりん」の盗伐が指摘され大きな波紋を広げた。それ以前に印のない木を山子が伐っているのを知っていた。「代替え」と呼んでいた。
根元に刻印のある木は代替えはできない。伐っても根元の刻印が残るからだ。これは立木販売契約のように林野庁が指定した立木を売る時なのだが、全ての契約で根元の刻印が徹底されていたのかというとそうでもなかったような記憶がある。奥の山に良い木があると黙って伐ってしまう。森林官と相談して支障木として伐ってしまうなどいろいろな手法で木は伐られていった。詳細はもう記憶にない。今さらこれらを立証することは不可能だろう。
根元に刻印のない契約の代替えは簡単だ。人工林の定性間伐などは根元の刻印がなかった。胸の位置のナンバーテープをマイナスドライバーで外し近くにあるより良い木を伐るのだ。作業員いわく「盗んだのではなくより山に良い木を替わりに伐った。山は良くなる」とのことだ。もちろん林野庁の立木調査が完璧かと言うとそうではない。ビビってると言った感じがした。せっかく伐採に入るのに販売木の割り合いが少なく感じていた。30%ほどなのであろうか?伐倒木の割り合いが少ないと残される木の多くが伐倒支障や集材などで傷つけられる。残した意味があればと思う。
「やまりん」は代替え以上の木に手を出したて盗伐となったのだろう。私の勤めていた会社も盗伐が明らかになり林野長の契約ができなくなった。盗伐は私が担当した現場ではなかったが、担当した現場が盗伐となってもおかしくない状況だったと思う。造材責任者は国有林への立入りができなくなった。直接に盗伐とは関係がなかったが問題があったことは確かだ。
森の素晴らしさは、ほとんど人目に付かないことである。林業にも言える。建築・土木ほど人目に付くことはない。山子は一人で自分の採面を伐る。ブルドーザーは一人で山子の後を追い集材する。山土場に出てきて集材木は初めて複数の人の目にさらされる。山土場での集材木が調査木なのか盗伐木なのか代替え木なのか確認されることはない。それが造材現場だと教えてくれて目の前で代替えの意味を教えてくれたた山子がいたから私はここに書ける。山子が見る林野庁の調査の不具合も教えてくれた。森づくりは人それぞれである。
30年以上森で木を見てきた山子が勝手に調査木を代替えする。調査したのは北海道に来て数年の若い林野庁職員なのかもしれない。ビビってる調査物件を見ると感じてしまう。伐る時に伐れない物件は残留木を傷つけて余計に森を壊す。ビビらずバランスがとれる調査員が必要となる。
キャリアではなく役職で森がつくられている。人間社会では通用するかもしれないが自然界では無理だろう。森は社会経済の枠の中に治まらないだろう。自然の森は人以前にあったのだから。
森を知るには森の時間を積み重ねることだと思う。そして樹種も山菜もキノコもそれらを必要としないと覚えられない。大人は仕事と生活で必要なこと意外は覚えられないのである。
THIRD STAGE サード・ステージ
「生きてる?」
「ん、うん」
「今、救急車呼ぶからね。動かないで。大丈夫?もしもし?あ、路上に男の人が倒れてまして、救急車お願いします。え?釧路駅の向かい側です。南口です。血は出てないようです。大丈夫?どこか痛い所ある?動かないで。もしもし?大丈夫なの?もしもーし?すいません。走ってっちゃいました」
すがすがしい6月の朝、釧路駅の向かいで目が覚めた。路上は冷たかったが通りかかったおばさんは暖かかった。45歳の新しい人生が始まった。全てがリセットされてゼロからのスタートだ。
「おかしなおじさんがいるよ」
「寝てるんじゃないの?」
「目は大きく開いてるし、口も開いてる。完全に固まってるよ。生きてるのかな?」
「そこの交番からお巡りさん呼んでくるよ」
「うん。あ、動いた。こっちに来る。どうしよ」
「ガオー」
「ワー」
子どもを驚かしても何も始まらない。さて、何を始めようか?公園でぼうっとしていてもいいんだけど、お腹もすくし喉も乾いた。何か持っているのかな?いくらかお金がある。仕事を探すか?住むところを探すか?生きるか?死ぬか?
とりあえず生きておこう。
「かあちゃん、お腹痛い。うんこ」
「だから言ったじゃない。うんこしときなさいって」
「出なかったんだもん」
「バス来ちゃうでしょ」
「うんこ」
「もー。」
「出ちゃう」
「コンビニまで我慢して。ほら、早く」
「出ちゃった」
昨日誰と飲んでたんだろ。女だ。道新の記者だ。他にもいたな。今日も遊ぶか?
「ん、うん」
「今、救急車呼ぶからね。動かないで。大丈夫?もしもし?あ、路上に男の人が倒れてまして、救急車お願いします。え?釧路駅の向かい側です。南口です。血は出てないようです。大丈夫?どこか痛い所ある?動かないで。もしもし?大丈夫なの?もしもーし?すいません。走ってっちゃいました」
すがすがしい6月の朝、釧路駅の向かいで目が覚めた。路上は冷たかったが通りかかったおばさんは暖かかった。45歳の新しい人生が始まった。全てがリセットされてゼロからのスタートだ。
「おかしなおじさんがいるよ」
「寝てるんじゃないの?」
「目は大きく開いてるし、口も開いてる。完全に固まってるよ。生きてるのかな?」
「そこの交番からお巡りさん呼んでくるよ」
「うん。あ、動いた。こっちに来る。どうしよ」
「ガオー」
「ワー」
子どもを驚かしても何も始まらない。さて、何を始めようか?公園でぼうっとしていてもいいんだけど、お腹もすくし喉も乾いた。何か持っているのかな?いくらかお金がある。仕事を探すか?住むところを探すか?生きるか?死ぬか?
とりあえず生きておこう。
「かあちゃん、お腹痛い。うんこ」
「だから言ったじゃない。うんこしときなさいって」
「出なかったんだもん」
「バス来ちゃうでしょ」
「うんこ」
「もー。」
「出ちゃう」
「コンビニまで我慢して。ほら、早く」
「出ちゃった」
昨日誰と飲んでたんだろ。女だ。道新の記者だ。他にもいたな。今日も遊ぶか?
2009年7月25日土曜日
森のキモチ「法律」
「シンちゃんって今まで何か悪いことをしたことがあるの?」
「もちろんあるよ」
「どんなこと?」
「いろんな悪いこといっぱいしてきたよ」
「ケンカとか?」
「そうだね。ケンカもした。でも、それは悪いことなの?」
「そうでしょ。先生はケンカをしたら怒るよ。ひとをはたいたら怒るよ」
「そっか。それはだれが決めたの?」
「うーん。だれ?」
「わからない。人を叩いたらいけないと決めた人を探してもきっと見つからないよ。それがこの国の決まりなんだ」
「変なの」
「そうだね。でも、人が決めたことには間違いない。人以外の生物は全て生きるか死ぬか、食べられるか食べるかで生きてる。叩くか叩かれるかなんてレベルじゃない。命をかけて生きている。どこに行きたいんだろ、人は?」
「どこって?どっか行っちゃうの?」
「人の生き方は、ずっと自然が決めてきた。日本では二千年ぐらい前から人が決めてきたのかな。今はそれが当たり前になっているけど、それがホントなのかな?」
「ホントでしょ」
「そうなのかな?人が決めたことは必ず変わるんだ」
「そうなの」
「そうだね。今も戦争をするような軍隊がいけないことになっているのに良いことにしようとか、軍隊は良いけど戦争はいけないとか、むちゃくちゃだよ。毎年のように人が決めたことが変わっていくんだ」
「ケンカが良くなったり、悪くなったりするの?」
「そうだね。それが人が決めたことなんだ」
「それじゃ大変でしょ?」
「もちろん。そんな大変な中で人は生きてるんだ。だから僕は自然界の中で生きてる。人が決めたことは信じていない。もちろん日本で生きているから守らなければいけないことは守るけど、最後は僕が決める。それが生きることだとわかったんだ」
「大丈夫なの?」
「それはいつかわかるよ。人が決めたことが変わらなくなった時に。たぶん何が生きることなのか本当にわかった時か、人が生きる意志が無くなった時かな。そんな時が来ることはきっとないけどね」
「もちろんあるよ」
「どんなこと?」
「いろんな悪いこといっぱいしてきたよ」
「ケンカとか?」
「そうだね。ケンカもした。でも、それは悪いことなの?」
「そうでしょ。先生はケンカをしたら怒るよ。ひとをはたいたら怒るよ」
「そっか。それはだれが決めたの?」
「うーん。だれ?」
「わからない。人を叩いたらいけないと決めた人を探してもきっと見つからないよ。それがこの国の決まりなんだ」
「変なの」
「そうだね。でも、人が決めたことには間違いない。人以外の生物は全て生きるか死ぬか、食べられるか食べるかで生きてる。叩くか叩かれるかなんてレベルじゃない。命をかけて生きている。どこに行きたいんだろ、人は?」
「どこって?どっか行っちゃうの?」
「人の生き方は、ずっと自然が決めてきた。日本では二千年ぐらい前から人が決めてきたのかな。今はそれが当たり前になっているけど、それがホントなのかな?」
「ホントでしょ」
「そうなのかな?人が決めたことは必ず変わるんだ」
「そうなの」
「そうだね。今も戦争をするような軍隊がいけないことになっているのに良いことにしようとか、軍隊は良いけど戦争はいけないとか、むちゃくちゃだよ。毎年のように人が決めたことが変わっていくんだ」
「ケンカが良くなったり、悪くなったりするの?」
「そうだね。それが人が決めたことなんだ」
「それじゃ大変でしょ?」
「もちろん。そんな大変な中で人は生きてるんだ。だから僕は自然界の中で生きてる。人が決めたことは信じていない。もちろん日本で生きているから守らなければいけないことは守るけど、最後は僕が決める。それが生きることだとわかったんだ」
「大丈夫なの?」
「それはいつかわかるよ。人が決めたことが変わらなくなった時に。たぶん何が生きることなのか本当にわかった時か、人が生きる意志が無くなった時かな。そんな時が来ることはきっとないけどね」
森のキモチ「サクラ‐どの色が好き?」

「すごいサクラ!」
「いろんなサクラの色があるけどリッちゃんはどの木のサクラの色が好き?濃いピンク?薄いピンク?」
「うーん。あの木の濃いピンク」
「リッちゃんははっきりと物を言うしっかりした子だね。当たってる?」
「たぶん当たってると思う。なんで?」
「濃いピンクが好きな人ははっきりしっかりした人で、薄いピンクが好きな人はほんわかと柔らかい人」
「シンちゃんはどんな色のサクラが好きなの?」
「僕は白いサクラ」
「シンちゃんは白い人なんだ」
「そう。真っ白な心を持った人」
●ここに書かれているカラーセラピーまがいの会話は私の作り話です。私の経験から生まれたイメージです。このようないい加減な話を創れることが森の凄いところです。この後に続く会話も全てフィクションです。もちろん普段のガイドでお話していたことなので何の根拠もない出任せだけでもありません。森の生活に無くてはならないことは考察と検証に基づいています。これホント?ウソ?といった読み進みも一つの楽しみかと思います。真実は森にあります。あなたも出かけてみませんか?
森のキモチ「さくら‐いろいろ」

「いろんな色のサクラが咲いているね。みんな同じサクラなの?」
「そうだね。今咲いているのはエゾヤマザクラという種類のサクラだ。これから順番にいろんなサクラが咲き始めるよ」
「同じ種類なのに花の色がみんなばらばら。おかしくない?同じ種類だったらみんな同じ色になると思うんだけど。家の近くの公園のサクラは同じ色してるよ。」
「きっと公園のサクラは人によって同じ木から採った種から育てられた兄弟のサクラなのかな。神社や公園のように人に植えられたサクラは同じ色をしていることが多いよ。でもこの森は自然のサクラなんだ。人が植えたんじゃなくて自然に生えてきたサクラなんだ。自然のサクラはいろんな色をしている。僕とリッちゃんは同じ人間だよね。でも全然違う。」
「そりゃそうでしょ」
「リッちゃんの母さんとリッちゃんも違うでしょ?」
「にてると思うけどね」
「でも違う。父さんに似てるとこもある。ホントはみんな違うんだ。なのに同じにしようとする。同じだと思うようになる」
「なんで?」
「同じの方が生きやすいんだ。人は安心するんだ。自分は変じゃないって。でも、自然はそんなこと気にしない。同じになろうとも思わないし、違ったほうが生きやすいかもしれない。あるがままに生きてるんだ。いろんなものがどんどん混ざって、自然に選ばれて、生き残るものもいれば、なくなってしまうものもいる。みんな同じだったら一度に死んでしまう危険が大きいんだ。みんな違えば生き残る可能性が生まれる。森の中ではみんな違ったほうが安全なんだ」
●多彩な環境対応が種の保存には必須でありながら人間の環境対応は遺伝子レベルで進んでいるのでしょうか?科学技術レベルで発展を続けると生物化学レベルでの進化が止まってしまうのでしょうか?UFOの宇宙人もそのような方が多いような感じがします。
森のキモチ「キタコブシ‐天気‐豊凶」

「白い花が咲いてる」
「コブシの花だ。今年はどんな一年になるのかな?」
「コブシの花で分かるの?」
「昔から一年の天気をコブシの花で占うんだ。春一番に目に付く木の花だからなのかな?」
「今年の天気はどうなの?」
「リッちゃん、コブシの花はどっちを向いてる?上?下?横?」
「上かな」
「コブシの花が上を向いていたら今年一年晴れの日が多いんだ」
「下を向いていたら?」
「下を向いていたら雨の日が多くて、横を向いていたら風の日が多いんだ。リッちゃん、もう一度よく見てごらん」
「ホントだ。下を向いてるのも、横を向いてるのもある。雨もふって風もふくんだ。でもやっぱり上を向いてる花が一番多い。今年は晴れの日が多い一年だね」
「当たるかな?」
「当たるよ。花はウソ付かないから」
●その年の豊凶の占いにもコブシの花は使われます。たくさんの花が咲いたら豊作、花が少ない年は凶作です。
森のキモチ「シマリス‐見つける力」

「何の声?」
「シマリスだ」
「鳥じゃないの?」
「僕も最初は鳥だと思って、木の上ばかりを探した。でも、下の方から聞こえる。二時間かけて見つけたよ。シマリスを」
「二時間?」
「何としてでも知りたくて、今度はいつ出くわすか分からない。タイミングはとっても大事なんだ。やっと見つけたら、その後は何回も同じ声を聞けたし、シマリスも見つけることができた。そんなもんなんだ。百聞は一見に如かず。」
「ひゃくぶんはいっけんにしかず?」
「そう。何でもそうなんだ。一度見つけることができたら、それを見つける力が付く。鳥でも花でも山菜でもキノコでも。見つける力が生きる力なんだ。人に教えてもらうんじゃなくて、自分で見つけるんだ。タンチョウもクマのコッコも自分でエサを見つけてとれるようになって一人で生きる。見つけることが生きる最初なんだ」
「見つけること」
「リッちゃんはこの森でいろんなものを見つけた。もう一人で生きれるんじゃないの?」
「むりむり」
森のキモチ「ツノ‐カルシウム」

「わっ!」
「リッちゃん、また見つけたね」
「ツノ?」
「そうだねシカの角。こんな道路の上で見つけたのは僕も初めてだ」
「なんでおちてるの?」
「エゾシカの角は毎年生えかわるんだ。この時期に落ちて、新しい角が生えてくるんだ。こんなに大きな角が毎年、半年間ほどで生えるんだよ。それも二本」
「すごいね」
「どんだけのカルシウムを使うのかと思うよ」
「カルシウム?」
「骨を作っている成分なんだけど、角も骨と同じだからカルシウムからできてると思うんだよね。これだけの硬くて重い立派な角を毎年生やすんだから、シカはすごいよ。いつも食べてるはずだ。リッちゃんも笹や木の皮を食べたら丈夫で立派な骨になるかもしれないよ」
「まずはシンちゃんが食べてみて。リホはそれから」
森のキモチ「ドブガイ‐ドブ」

「シンちゃん、どこ行くの?」
「リッちゃん、来てごらん。この時期ならではの面白いものが見れるかもしれない」
「ホントに?」
「リッちゃん、滑るから気を付けてね」
「水がながれてる」
「山﨑沼から釧路湿原に流れる沢だ。きれいな水でしょ」
「うん。きれいだね。ちっちゃな魚も泳いでる」
「リッちゃん見つけるの早いね。ほら、そこのヘリの水が流れてない所に黒いかたまりがあるでしょ」
「ホントだ。何なの?」
「貝だよ。ドブガイ」
「ドブガイ」
「この頃になると、打ち上げられているんだ」
「なんで?」
「わからない。この前の大雨と雪解けで水が増えて流されたのかな?去年も同じ頃に打ち上げられているのを見たよ。ほら、これなんかまだ生きてるみたいでしょ」
「ホントだ。中の白いのがうごいてる。シンちゃんの手よりも大きいね」
「こんな大きな貝もいるんだ。いつもは泥の中にいるから見ることはできないんだけど、この時期だけこうやって泥の中から出てるのが見られるんだ。もしかしたら卵を産むために出て来てるのかもしれないね。なんで、こんなにきれいな沢に住んでいるのにドブガイなのかな?」
「ドブってきたないの?」
「リッちゃん、ドブ知らないの?」
「うーん?」
「そういえば、最近ドブって言わないのかな。それに蓋されちゃって見ることもないのかな。」
「見たことない」
「リッちゃん。見ての通りドブガイの住むところはきれいな水が流れているから、ドブはきれいなんだよ」
「ホントに?」
「ドブガイを信じてあげて」
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